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 ここには以下の15本の嘘が記録されています。

別れのうた――苦しみよ、さようなら
菊太・蛍子の再評価進む
学歴低下の判断力低下?
関空、サービス強化で挽回へ
天気予報の語尾見直しへ
イラクが竹製兵器を大量生産
八代亜紀、航空業界でもシェア1位
四国と本州で初の合併構想
高速道路、公団民営化後も限定的に建設
米軍、イラク攻撃を開始
雪山に約2ヶ月、無事を確認
ホームレス化懸念が商機に
表情と年末の残り時間、相関性を実証
「家庭の必需品」第2の人生歩む
シンナー中毒、解決の切り札登場

 


■別れのうた――苦しみよ、さようなら
2002/09/07

 西太平洋の米国自治領、サイパン島。太平洋戦争では日本人兵士がほぼ全滅したこの島で、今日も銃声が鳴り響く。島内にある民間の射撃場は4カ所。いずれも、日本人観光客が最大の「得意先」だ。

 うち1カ所は、ほかの射撃場とはややサービス内容が異なる。標的は人の形をした看板や同心円を書いた紙ではなく、古くなったピアノ。利用者の8割以上が日本人女性だ。400万円以上をかけて日本からマイ・ピアノを持ち込む人も少なくない。

 吉野早苗さんは36歳。6歳のときにアップライトピアノが家にやってきた。週3回のピアノ教室。毎日2時間の練習。おしゃれをして練習の成果を披露する発表会。そんな生活に疑問を感じたことはなかった。吉野さんが子供のころ、女の子にとってピアノは男の子の野球のようなもの。他に選択肢がない時代だった。

「ちっとも楽しくない」。中学に進むころに気づいた。クラスやピアノ教室で一番ピアノが上手な子との差が、そのまま吉野さんのコンプレックスになった。「楽しかったのは、一番上手な子だけだったんじゃないかな」

 生活が荒れ始めた。シンナー遊び、けんか、暴力団員との関係、堕胎、麻薬密売、逮捕……。それでもピアノをやめなかったのは、母が「レッスンだけは続けてちょうだい」と涙を流しながら懇願したからだ。コンプレックスはますます大きくなり、泥沼から抜け出せなくなった。

 吉野さんはいま、パートで働く傍ら通信制の高校で学んでいる。悪い仲間とは関係を断ち切った。しかし、苦しみだけが残ったピアノの練習はずるずると続いた。ある日、新聞でサイパンの射撃場の記事を見つけ、すぐに電話で予約した。ピアノの輸送費用は、幼いころから厳しい練習風景に心を痛めていた父親が出してくれた。

 野原の上に置かれたアップライトピアノ。吉野さんが引き金をひくと、1分間で250発の弾丸が発射され、ピアノは蜂の巣になった。「これを家に持って帰って茶の間に置けば、もう母親もピアノを練習しなさいとは言わないと思う」

* * *

 クレーン・オペレーターの田中俊三さん(49)は、昨年から本業と副業が逆転した。この夏地面に落としたピアノは150台以上。本業では犯してはならないミスだ。

 ニーズの存在に気がついたのは、2年前の秋だった。大型クレーンでマンションの9階にベランダからピアノを搬入する作業をしているとき、突風が吹いてワイヤーが切れ、40メートルほどの高さからピアノが落下。けが人こそ出なかったが、ピアノは見るも無惨な姿になった。

 持ち主であるサラリーマン夫婦は激怒したが、一人娘は「これでピアノの練習をしなくてすむ」と喜び、鉄と木の残骸の周囲で小躍りした。娘がどれだけピアノの練習で苦しんでいたのか初めて思い知らされた夫婦は、最後は笑顔で田中さんを見送ったという。

 翌日、ピアノが落下する瞬間を目撃したマンションの住民数人から電話がかかってきた。「うちのピアノも落としてくれませんか」。いずれも、引っ越しのたびにワイヤーが切れてほしいと密かに願っていた女性たちだった。田中さんが電話帳の広告に「ピアノ落としも承ります」と書き添えると、毎日のように申し込みの電話がかかってくるようになった。

 大型クレーンでつり下げられたピアノが自由落下し、ピアノの音と鉄のフレームがつぶれる音の混じった奇妙な響きとともに破壊される様子を見て、大部分の女性は満足する。しかし、なかには「私が味わった苦しみはこんなものじゃない」と、不満をもらす人もいるという。田中さんは現在、ヘリコプター会社と交渉しており、早ければ今年冬にも、グランドピアノをつり下げた大型機が三宅島の火口に向けて飛び立つ見通しだ。

* * *

 小川はるかさんは、「15年」という目標を立てた。

「5歳から20歳までピアノに苦しめられた。だから、一瞬のうちに破壊するのは甘すぎる。同じ時間をかけてピアノをいたぶっていやりたい」

 ピアノの置かれた薄暗い地下室で、小川さんは固い笑みを浮かべる。

 数々のコンクールで入賞し、勉強の成績も良かった小川さん。優等生の仮面の下では本人も気がつかないうちにストレスが蓄積していた。友人に誘われて出かけた横須賀で、仲良く並んで歩いていた米軍の白人兵士、黒人兵士、白人兵士、黒人兵士、白人兵士、白人兵士、黒人兵士、白人兵士、黒人兵士、白人兵士、黒人兵士、白人兵士のグループに、無意識のうちに殴りかかっていた。

 家族、友人、自尊心……。あらゆるものを失った小川さんは3年前から、地下室でピアノと一緒に暮らす。昨日は彫刻刀でフタに傷を付けた。今日は興奮を抑えるのに苦労しながら、ペンチでピアノ線を1本切断した。明日はドリルで足に穴をあけるつもりだ。

 その一方で小川さんは、ショパンのピアノ作品の録音にも取り組んでいる。これまでに自主制作したCDは4枚。小川さんと同じような苦しみを味わった女性たちの間で、音の欠落に比例するように静かな共鳴が広がりつつある。

 
 
 

■菊太・蛍子の再評価進む
2002/09/08

 大阪湾を一望する淡路島の小高い丘で8日、松亀屋菊太・蛍子像の除幕式が行われた。昭和30年代前半、体を張った過激な漫才で爆発的な人気を得た伝説の漫才コンビだ。

 菊太は昭和7年、淡路島に生まれた。15歳で漫才師を夢見て大阪に移り住み、下積み生活を経て昭和28年、蛍子とコンビ結成。戦後の復興が一段落して人々が新しい刺激を求めていると感じた二人は、どつき漫才を先鋭化させた新しいスタイルで話題を独占。上方お笑い界を代表する人気者になった。

 しかし、過激な芸は菊太の体をむしばんだ。歯は抜け落ち、消化器は正常なものが一つもなかった。抗生物質を1日に何本も注射し、出番の直前まで控え室で苦しんだが、舞台に上がれば別人のように明るく振る舞った。

 昭和34年、黄金時代は突然終わった。上方お笑い界の長老に、えげつない、難波の恥と批判されたのだ。新聞やラジオも手のひらを返すように冷たくなった。お笑い界から追放された二人は菊太の実家に身を寄せた。昭和38年、菊太は31歳の若さで失意のうちに世を去った。上方演芸史から、二人の名前は完全に消し去られた。

 二人に再び注目が集まるようになったのはこの数年のこと。新しい言語表現が作られる過程について調べていたルポライターが、菊太・蛍子のギャグが現在の大阪で子供から大人に至るまで広く親しまれている表現を生み出したことに気づき、雑誌で発表したのがきっかけだ。漫才を記録した貴重なフィルムやレコードも発見され、「常識を打破する高度な芸」「生まれるのが50年早すぎた」といった肯定的な評価が定着した。

 舞台上では相棒、舞台を降りれば妻だった蛍子は昭和53年、淡路島の病院で静かに45年間の一生を終えている。身寄りのない蛍子を見舞う人など誰もいなかったが、死の間際、蛍子は看護婦に何度もこうつぶやいたという。

「うち、ちっとも寂しくなんかあらへん。天国に行ったら、昔みたいにお父ちゃんのケツの穴から手つっこんで奥歯ガタガタ言わしたるんや」

 フィルムに残った映像をもとに、二人の姿勢を忠実に再現した淡路島の菊太・蛍子像。除幕式のあと、その前で地元の人たちやお笑いファンたちが、半世紀前の漫才を録音したSPレコードに耳を澄ました。菊太の奥歯の響きは、にぎやかで、どこかもの悲しい。

 
 
 

■学歴低下の判断力低下?
2002/09/13

 文部科学省の行った調査で、全国の小中学生の学歴が低下しているかどうかを判断する教師の能力が著しく低下していることがわかった。教育界で繰り広げられてきた学力の変化をめぐる論争の決着がようやくつきそうだ。

 昨年の調査で「食塩水の濃度」に関する問題を正しく解けた小学5年生の比率は23%と、10年前と比べて2ポイント上昇し、文部科学省は「学力低下を裏付けるデータは得られなかった」と発表した。しかしその後、教師を対象に行われた調査で、同じ問題を解ける教師が56%しかいないことがわかった。この比率が10年前と比較して24ポイント低下していること、不正解だった教師の大半が児童の提出した回答用紙をよく見ずに正解にしていたことから、文部科学省では、児童の学力も大幅に低下しているとの見方を強めている。

 今回、同時に行われた調査では、都道府県の教員採用試験担当者の学力も低下傾向にあることが浮き彫りになった。ある県は小学校教員の筆記試験で小学校6年生までで習う漢字とひらがなだけを使うよう義務づけたが、実際には漢字をほとんど書けない受験者だけが合格したという。

 今後、識者の間で「ゆとり教育」の見直しを求める声が強まるのは必至。教育評論家の渡辺みゆき氏は「100人のうちせめて75人、1000人のうち975人、10000人のうち9975人が最低限の学力を身につけ、学力のない人間の比率を25%以下に抑えることが必要」と指摘している。

 
 
 

■関空、サービス強化で挽回へ
2002/09/13

 利用客の低迷に苦しむ関西空港は、巻き返しを狙って離婚サービスの強化を図ることになった。「成田離婚」と同様、「関空離婚」が定着するかどうかが航空業界や旅行業界の注目を集めている。

 空港離婚に関する正式な統計はないが、「離婚と言えば成田。ほかの空港では聞いたことがない」(法務省)。新婚旅行期間中に仲違いしたカップルが帰国直後に離婚することはほかの空港でも可能だが、知名度の低さも手伝って、関空離婚に踏み切った人は一人もいないのが現状だ。

 空港を経営している関西国際空港会社は、内外の航空会社や旅行客に利用してもらうためには成田にはないサービスの提供が必要とみている。近く大阪地裁に関空支部の設置を要請して、「日本人」「外国人」に並ぶ「離婚希望者」のカウンターを開く方針。パスポートと搭乗券を提出すれば1分以内に離婚できるようにしたいとしている。

 空港の案内カウンターには早くも、この秋から冬にかけて結婚を予定しているカップルが相談に訪れているという。関空会社では、年末年始の繁忙期には混雑する可能性もあり、出発前に手続きを済ませるのが確実と説明している。

 関空の「参入」宣言で今後、成田と関空の離婚競争が白熱するのは確実。しかし近隣諸国全体に目を移せば、一度に100人規模の集団離婚式を開催できる体制を整え、離婚ハブ空港を目指す韓国の仁川空港が一歩リードしている。

 
 
 

■天気予報の語尾見直しへ
2002/11/17

 気象庁は天気予報の的中確率が長期的に上昇する傾向にあることから、予報のなかで使われる語尾の表現を見直すことを決めた。これまでは「でしょう」で終わることの多かった天気予報の表現の幅が広がりそうだ。

 NHKによれば、昨年、気象庁の予報官が放送のなかで明らかにした予報のうち、72%は「雨が降るでしょう」「晴れるでしょう」といった「でしょう」型。18%は「強い風が吹きそうです」「お洗濯日和になりそうです」といった「そうです」型だった。昭和40年代まで多かった「〜かもしれない」「〜と断言することは誰にもできない」「これは、ひょっとするとひょっとするかも」「いやな予感がする」などの慎重な表現は、ほとんど使われなくなっているという。

 気象庁では、過去のデータから的中の可能性が90%以上の予報には、「でしょう」に代えて「雨が降ります」「晴れます」といった言い切り型でも問題はないとみている。確率がやや低い場合には「雨が降る↑」「晴れる↑」などの語尾上げ型肯定文で微妙なニュアンスを伝えたいとしている。また、的中の可能性が極めて高い場合には、雨、晴れなどの結論だけを、最高裁判所長官に言い渡してもらうことも検討している。

 なお、スーパーコンピュータによるシミュレーション技術の進歩で、従来は予測が難しいとされた、晴れている地域での突然の豪雨も、事前に警告することができるようになった。来年の夏ごろには「神奈川県南部の住民よ、おまえはもう、溺れ死んでいる」といった予報が人気を集めそうだ。  
 
 


■イラクが竹製兵器を大量生産
2002/11/22

 イラクで武器査察を行っている国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長は22日に現地で記者会見を開き、バグダッド郊外にある地下工場で大量の竹製兵器を発見したと発表した。米政府はこれが「安保理決議への重大な違反」に該当すると判断、ペルシャ湾に展開している米海軍の空母に攻撃準備を命令した模様だ。

 消息筋によれば、地下工場では竹5万本以上が加工され、先端が斜めに切られて刃物のような形状になっていた。足腰を鍛えた民衆がこの竹で敵軍の兵士を突けば、深い傷を負わせることも可能だという。この工場からは、1940年代前半に東アジアで撮影されたとみられる、竹製兵器の訓練風景を撮影した白黒映画も発見された。工場の壁にはアラビア語で「鬼、畜生のようなアメリカ人とイギリス人」「欲してはならぬ、戦争に勝利するまでは」「月曜日の次は月曜日、金曜日の次は金曜日」といったスローガンが掲げられていた。

 ジェーン軍事年鑑によれば、近年、イラクを含む発展途上国では、竹を材料にした兵器の増産に取り組んでいる。製造と取り扱いが容易であること、竹の成長が早いことに加え、裸足で踏むとふくらはぎの疲れを癒す効果があるためだ。このほか、世界各国で自然保護への関心が高まったことから、地球にやさしい竹製の兵器を使えば米国や欧州でも支持を得られるとの期待が背景にある。

 米国務省はX線を通し、テロ警備体制を無力化する可能性のある竹製兵器の製造や使用を従来から強く批判しており、今回の発見を受けてEUやロシアに対して軍事行動に賛同するよう呼びかける見通しだ。この週末にも米空軍の攻撃機からイラクの防空レーダー設備に対し、レーダーに映らない竹製ミサイルが発射され、大規模な軍事行動が始まる公算が強まっている。

 
 
 

■八代亜紀、航空業界でもシェア1位
2002/11/25

 国際航空運送協会(IATA)が行った貨物機操縦席音楽調査で、日本の演歌歌手・八代亜紀のシェアが50%を上回ったことが明らかになった。陸運、海運分野では1990年代前半からトップシェアを維持しており、これで「陸海空制覇」を果たしたことになる。

 当初、日本のトラック運転手に限られていた八代亜紀のファンは、1980年代後半から日本に乗り入れる貨物船の外国人乗組員へと広がり、その後、各国のトラック、貨物列車の運転席でも八代亜紀の一連のヒット曲が流れるようになった。従来、イージーリスニングが支配的だった貨物機の操縦席も、いまでは眠気防止の効果があるとされる八代亜紀の歌声に包まれていることが多い。陸海空合わせた八代亜紀の輸送実績は昨年、709億キロ・トンに達し、いまや世界のロジスティクスの大黒柱的存在だ。

 「船長、航海士から一般の船員にいたるまで、ヤシロのファンは多い。最近ではデビュー直後のシングルにも人気が集まっており、カラオケとあわせて購入する人が多いようだ」と、タワーレコード・パナマ運河店店長、マリオ・ゴンザレスさんは語る。

 その八代亜紀は現在、セルフカバーを録音中だ。来年の秋に欧州宇宙機関が開発した国際宇宙ステーションの実験モジュールが打ち上げられるさいには、管制室で「ダンチョーネ」(「舟歌」のイタリア語版)が流れることになっている。

 
 
 

■四国と本州で初の合併構想
2002/12/2

 岡山県笠岡市議会と香川県詫間町議会は2日、合併協議会の設置を決定した。市町村合併がブームになっているが、海を隔てた合併構想が浮上するのはこれが初めてだ。

 ほとんど交流のない二つの地方自治体が突如として合併に向けて動き出したのは、国土交通省がこのほど結果を発表した地殻変動調査で、笠岡市が南に向かって年2ミリ、詫間町が北に向かって年1ミリの速さで移動していることが明らかになったため。GPSやレーザー光線といった技術の進歩で、高精度の測定が可能になった。

 笠岡市と詫間町では現在、体育館や図書館など公共施設の建設が進められているが、5000万年後には施設が重複し、税金の無駄遣いを指摘されるおそれがある。このため双方の自治体では今後、合併協議会を通じて社会資本建設の調整を行う方針だ。主要な幹線道路についても、合併時にきちんと整合するよう、工事の制度を高めたいとしている。

 笠岡市役所と詫間町役場によれば、合併予定日は50002002年の12月2日。双方の中学校のブラスバンドが音楽を奏でるなか、テープカットや両自治体の代表挨拶、住民同士の握手などが行われる予定だ。

 なお、香川県内のほかの地方自治体は岡山県との合併に消極的な姿勢を示しており、近く県庁では徳島県に対し、県境を南側に南に1ミリずつずらし、太平洋に面した南側の海岸線を同じペースで埋め立てるよう提案することにしている。

 
 
 

■高速道路、公団民営化後も限定的に建設
2002/12/3

 政府の道路関係4公団民営化推進委員会は6日の最終報告とりまとめに向けて、民営化後も計画規模を大幅に縮小した上で高速道路の建設を継続するとの方針を固めた。委員会では今井隆委員長(新日鉄会長)ら建設推進派と、松田昌士委員(JR東日本会長)ら慎重派の対立が感情的なレベルまで高まっていたが、土壇場で双方が歩み寄った。

 最終報告には、第2東名など現在建設中・計画中の区間を一方通行の1車線とすることが盛り込まれる見通し。現在、ほとんどの高速道路は往復それぞれ2〜3車線を確保しているが、実際の走行台数は当初の予測を下回っており、採算をとるには一方通行で土地収用や建設、開通後の整備にかかる費用を削減する必要があると判断した。

 一方通行の方向については、今井委員長ら推進派が都市の人口過密、地方経済の衰退を理由に「中央→地方」を主張しているのに対して、松田委員ら慎重派は都市への人口集中は避けられない現象だとして「地方→中央」を求めている。2日に行われた会合では、興奮した今井委員長と松田委員がH形鋼と電気機関車をぶつけ合う場面もあった。

 このため関係者の間では、最終報告にも明確な方向性は盛り込まれず、「最初にブレーキを踏むかハンドルを切ったほうが負け方式」が採用され、高速道路にも競争原理が導入されるとの見方が強まっている。長い間、道路政策により手厚く保護されてきた自動車やドライバーだが、将来、バンパーが脆弱な車種は淘汰されることになりそうだ。

 
 
 

■米軍、イラク攻撃を開始
2002/12/11

 CNNテレビなどが11日夜に伝えたところによると、米のブッシュ大統領は国防総省に対して対イラク軍事行動の開始を命令した。数時間以内にステルス機がサウジアラビアやトルコ領内の基地から飛び立ち、イラクのレーダー拠点を攻撃する模様だ。その後、本格的な爆撃が行われるのは必至の情勢。イラク国内ではフセイン大統領が国営テレビを通じて徹底抗戦を呼びかけており、中東情勢は緊迫の度を増している。

 イラクは7日夜、国連安全保障理事会に大量破壊兵器に関する申告書を提出したばかり。国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)が来週からの検証を予定しているのに対し、米政府では9日から中央情報局(CIA)などの専門家が独自の検証作業を開始した。ワシントンの外交筋によれば、すでにCIAの専門家は申告書に「致命的な欠陥」があるのを発見したという。

 国務省の高官も「100点満点で評価すれば、(申告書の点数は)0点」との厳しい見方を示している。申告書は本体文書だけで1万1807ページに達する膨大なもので、当初、精査には1〜2週間の時間が必要とみられていた。米政府が入手直後に態度を硬化させた理由はまだ明らかになっていないが、申告書の書き方についてイラク政府とコンサルタント契約を結んでいた代々木ゼミナールの今西卓講師(小論文担当)は、「解答用紙を机の上に広げたら、まず名前を書くというテストの鉄則を守らなかったのではないか」とみる。

 安保理決議によれば、申告書の内容に虚偽や遺漏があれば、米英はこれを理由にイラクを攻撃できる。しかし、同決議は名前書き忘れという異常事態は想定しておらず、今後の状況によっては、軍事行動に慎重なロシアやフランス、中国が次の週末に追試を実施して平和解決の道を探るべきと主張する可能性もある。

 
 
 

■雪山に約2ヶ月、無事を確認
2002/12/31

 乗鞍岳の登山道の途中にある標高2000メートル付近の山小屋で、11月初旬から身動きが取れなくなっていた登山家の無事が確認された。安否を気遣っていた家族や友人たちは朗報に胸をなでおろしている。

 山小屋に閉じ込められていたのは静岡市内の団体職員、川本一仁さん(38)。長野県側から乗鞍岳に登り、岐阜県側に下山する計画を立てて11月2日に出発したが、下山予定日を過ぎても川本さんから連絡がないことから、家族が長野県警に捜索願を出していた。

 ほかの登山者からの証言から、県警は川本さんが山小屋にいると判断。しかし連日の猛吹雪やなだれのため、捜索隊が山小屋に近づけない状態が続いた。緊急発電装置と十分な燃料、食料はあるものの、トイレの凍結防止用の電熱式便座を除く電気ヒーターがすべて故障しており、一時は凍死が心配される状況だった。

 天候の回復を待って出発した捜索隊が山小屋に到着したのは30日の午後。川本さんの姿は見えなかったが、トイレの扉にかぎがかかっており、ノックすると中からもノックで反応があった。捜索隊員らが下山を呼びかけたものの、川本さんは無言のままだという。

 北国の人々の心理に詳しい信州大学教授の諸田八重子氏によれば、川本さんは加熱便座依存症に陥った可能性が大きい。体が冷え切った状態でトイレに入った人が、便座からでん部に伝わる熱で精神的に満ち足りてしまい、そのままトイレに閉じこもってしまう病気だ。山小屋には食料のほか、過去の利用者が置いていった膨大な古新聞や古雑誌が残されていたことから、川本さんは過去2カ月間、外部と完全に隔離された至福の空間の中にいたとの見方が強まっている。

 捜索隊は、いったんは救出を諦め、カウンセラーを伴って1週間後に再び山小屋で川本さんとの接触を試みる方針。しかし、この山小屋には温水式のウォシュレットが設置されていることから、川本さんの症状は通常のケースよりも深刻である可能性が大きく、トイレのカギが開けられるは5月の雪解け以降にずれ込みそうだ。

 
 
 

■ホームレス化懸念が商機に
2002/12/31

 東京豊島区内の眼科で、24歳のOLがレーザー光線を用いた視力回復手術の順番を待っている。学生時代からコンタクトレンズを使用しているが、不自由を感じたことはほとんどなかった。

 「それでも、いざというときに安心できるのはやっぱり裸眼。コンタクトは定期的な交換や洗浄のための費用が高くつくから……」

 長年、手術を受けるかどうか迷っていたこのOLが決断を下したのは、勤務する有名メーカーの業績が急速に悪化していることを、テレビのニュースで知った直後だった。

* * *

 失業率が5%台という高水準に「安定」し、日本経済は低迷脱出の手がかりがみつからない状態が続いている。ホームレスは高度経済成長期の「自発的に社会の一般的な価値観を捨てた人々」から、「普通の生活をしていたのに、運悪く不況のせいですべてを失った人」へと変化した。

 経済産業省によれば、将来、自分がホームレスになるかもしれないと考えている人の比率は今年8月の調査で、過去最高の23%を記録した。自分のかつての同僚が駅でごみ箱をあさっているのを目撃した人に限ってみれば、43%に数字が跳ね上がる。もはやホームレスは、多くの日本人にとり他人事ではない。

 その一方で、国民が抱えるホームレス化への不安が新たなニーズを生み出している。

* * *

 名古屋市内で美容整形外科を経営する医師は、この2〜3年、整形手術を希望する患者たちに、「清貧化」の傾向を感じ取っている。目はそれほど大きくなくてもいいから、清楚な顔立ちにしてほしいと言う若い女性が増えた。「ゴージャス」に走り勝ちだった過去の整形手術の現場では考えられなかった現象だ。

 この秋に手術を受けた家事手伝いの女性は、整形の効果に喜んでいる。周囲には「きれいになったが、薄幸そうにも見える」と言われることが多い。この女性の父親は昨年9月に失業、家のローンの元利返済は昨年末からストップしたままだ。ホームレス化は避けられないと判断し、「清く・貧しく・美しく」という目標を立てたこの女性は、まず最後の一つを実現したことになる。

* * *

「ミサワホームの段ボール製住宅、人気集める」
「中学生撃退のための武道教室に申し込み殺到」
「食べていいもの悪いもの――ごみ箱食物の安全教本がベストセラーに……」

 ホームレス化が新しいビジネスチャンスを広げていることを示すニュースはほかにもいくらでもある。大和総合研究所では、2003年の経済成長率(GDPベース、実質)がホームレス効果で0.2ポイント高まるとの計算結果を明らかにしている。一方、そんな時代の流れに不安を抱く人もいる。

 「公園で寝泊りしている人が美人で、リアカー車庫つきのこぎれいな段ボールハウスで暮らし、悪質な中学生や高校生の集団を退治して喝采を浴びるようになったら、我々のような昔気質のホームレスはどこに行けばいいのだろう」

 34年前、世間を捨てる決心を下してから野外生活を続けてきたこのベテラン・ホームレスは、上野公園がこの数年でずいぶんと住みにくくなったと嘆き、そろそろ社会復帰の潮時かと考え始めているという。

 
 
 

■表情と年末の残り時間、相関性を実証
2002/12/31

 泣いても笑っても2002年も残りあと3時間となった2002年12月31日の夜9時ごろ、京都大学理学部の飯野譲教授らの調査で、順序を逆にして笑って泣いた場合には2002年が残り3時間5分に伸びることがわかり、学界に衝撃を与えている。今後、宇宙の時系列的な秩序を保つため、泣き笑いの順番を厳しく規制すべきだとの声が強まりそうだ。

 物理学者の間では従来、年末の表情と残り時間には何ら関係がないというのが定説だった。過去に嘘泣きしてからのあざ笑い、すすり泣きしてからのバカ笑いなどが試みられたこともあるが、原子時計を用いた精密測定でも、時間進行への影響は認められなかった。飯野教授らの研究は、泣き笑いの順番を逆にした点で画期的だ。

 なお、泣いて笑って笑って泣いて泣いて泣いて笑った場合、時間進行のスピードは通常と何ら変わらないが、飯野教授らの計算によれば、2002年の翌年は2003年ではなく、1467年となる。実験のあと、京都市の東西には細川勝元・山名宗全の両軍勢が集結しつつあり、飯野教授は「理論の正しさは事実上、証明された」とみている。

 今後の研究について飯野教授は、「笑いを100万回続けてからの泣きで、残り時間を1年単位で自由に伸ばすことができるようになるかもしれない。また、笑いと泣きをナノ秒単位で繰り返すことにより、時間の流れを永久に止めることができる可能性もあり、近く実験を行いたい」などと語っ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


■「家庭の必需品」第2の人生歩む
2002/12/31

 1990年ごろには一家に一台が愛用されていたのに、いまやすっかりパソコンに取って代わられてしまったワープロが、第二の人生を歩んでいる。華麗な転身を遂げた機種もあれば、不慣れな仕事に戸惑う機種もある。

 大手メーカーとしては最後までワープロを生産していたシャープは12月、「書院」に米の大手映画会社、ワーナーブラザースへの出向を命じた。この夏にもアニメの短編映画に、バックスバーニーが使うタイプライター役で出演することが決まっている。本来なら静かな書院だが、アニメ映画らしい大げさな作動音を立てることができるかが、「ワーブラ」としても成功できるかどうかを左右しそうだ。

 一方、長年にわたり人気ワープロブランドの座に君臨していた「ルポ」は2年前に東芝から解雇を通告された。「ルポ」は地位回復を求める訴訟を起こしたものの裁判所は東芝の主張を認めた。これをきっかけに「ルポ」は労働運動に目覚め、次第に先鋭化。現在は旧東欧諸国やパレスチナの過激派が形成するワルシャワ条約機構―パレスチナ解放戦線共同体(WARSAW-PLO)のキャンプで、熱転写プリンタをフル回転させて宣伝ビラを印刷している。

 早くもスポットライトのあたる表舞台に戻ってきたのは、富士通のオアシス。テレビ朝日と新日本プロレスの番組、「ワールド・プロレスリング」に出演し、表現力豊かなマイクパフォーマンスで人気を集めている。「貴様、このやろう、おめえ、あんた、貴殿、あなた、きみ、おんどりゃ、そなた、そち、あんさん、おのれ、必ずぶっつぶしてやるからな」。オアシスの変換辞書に登録されている言葉は24万語。プロレスラーとしては多すぎるのではとの苦情も、ないわけではない。

 
 
 

■シンナー中毒、解決の切り札登場
2003/1/8

 山梨県農業試験場が、シンナーの味しかしないマスクメロンの栽培に成功した。青少年のシンナー乱用を防ぐ切り札になると、全国の教師や警察官の間で期待が高まっている。

 日本に初めてマスクメロンが上陸したのは1960年代の後半。当時は栽培が難しく、一部の高所得者層にしか手に入らない高嶺の花だった。「シンナーに似た匂いがする」との噂が口コミで広まると、上流社会にあこがれる若者が気化したシンナーを吸い込み、幻想の中に慰安を見出すようになった。

 その後、マスクメロンの栽培農家が増え、価格は庶民にも手が届く水準に下がったが、マスクメロンとシンナーの香りには微妙な違いがあり、若者の心の隙間を埋めることはできなかった。教師、警察官による指導や取締りにも効果はなく、多くの若者がシンナーに脳や内臓を蝕まれつづけた。日本中の植物学者や果物農家にとり、純粋なシンナー味のマスクメロン開発が目標になった。

 品種改良は難航した。甘味、深み、芳醇な香りなど、マスクメロンの魅力すべてが障害だった。唯一、効果をあげたのがメロンパン。発売された直後には学校近くのパン屋に不良学生たちが列を作ったものの、まもなくアンパンとは根本的に性質が違うことに気づかれ、ブームも終わった。

 山梨県農業試験場は、長年にわたる試行錯誤を経て、トルエン、酢酸エステル、アルコールを混合した肥料を与えることで、シンナーと同じ味を再現することに成功した。化学肥料や除草剤が嫌われる時代に逆行する挑戦だった。シンナー中毒者100人の協力を得て行われたテスト結果は上々。早くも、本物のシンナー以上に垂涎の的となっているという。  
 
 


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