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ここには、以下の嘘が登録されています。
アイポトレ・テクノロジーズは6日、パリで9日から開催されるQREX'98で、CEDF技術を投入した新世代W2マシン、EREE-331を発表する。そのスペックをめぐって様々な憶測を呼んでいるマシンが、つねにベールを脱ぐ。
EREE-331については、アイポトレが昨年第3四半期に発表したタイムテーブルのなかで、社内開発コード「ぬれぬれ号」として今年第2四半期中の発表を予告していた。W2モジュールの精度が従来予測されていたよりも順調に高まったため、計画を前倒ししたものとみられる。
「ぬれぬれ号」のリリースで、今後のアイポトレの開発スケジュールが大幅に変更されるのは確実。W2技術にGFG処理機能を追加した「あはんあはん号」のリリースは今年第4四半期中から第3四半期末までに、W2技術を省略したローエンド機種、「ぴくんぴくん号」のリリースは来年第1四半期から今年クリスマスまでに早められそうだ。なお、今回アイポトレが発表した資料によると、「あはんあはん号」にはEREF-402V、「ぴくんぴくん号」にはEREG-203の正式商品コードが与えられている。
来年以降のスケジュールに注目すれば、先にIEEE1993として業界標準化されたESEプロセスをDED部に採用した「ぐちょんぐちょん号」が、来年夏にも商品化される見込み。第4四半期にはCE3XWSプロセス専用の「ぐにゃぐにゃ号」と、DDE323規格準拠型の「あひっあひっ号」のリリースが計画されている。これら「ぐちょんぐにゃあひっ」シリーズが予定通り市場に登場すれば、ESE-DDE分野でのアイボトレのシェアは、現在の72%から90%以上まで高まる可能性が強い。
業界関係者が注目しているのは、アイポトレが昨年買収したQFEE社から獲得した"ERCCD 3+3"技術をどのような形で製品化するか。リリース時期や価格だけでなく、めぼしいものは一通り出尽くしたとの見方が強い社内コードの行方にも、関心が集まっている。
1998/3/7
「低価格ドルパソコンの日本上陸は、絶対に許さない」
日本父親同盟の幹部が19日、コンパック日本法人を訪れ、低価格パソコンの日本市場への導入に反対する声明文を手渡した。
製品価格が急速に下落することが当然だったパソコンの世界で、ユーザーがこれほど強硬な形で値下げに反対するのは、おそらくこれが初めてだ。
いま、700ドルから1000ドルの低価格パソコンが、北米市場で急速にシェアを伸ばしている。コンパックをはじめとする大手パソコンメーカー各社や、CPUの8割を供給しているインテルは最近、今年第1四半期の業績予測を相次いで下方修正した。価格競争の激化が収益を圧迫しているのだ。
仮に、供給者側全体が価格競争の敗者だとすれば、消費者は勝者なのだろうか。いや、この競争に勝者はいない。最も悲惨な状況に追い込まれたのは、インテルでも、市場からもうすぐ淘汰されようとしている弱小パソコンメーカーでもなく、全米のお父さんたちだ。
* * *
パソコンが1台4000ドル以上した時代、アリゾナ州に住むマーク・モフィットさんの自宅にはマークさん専用のMS-DOSパソコンが1台あるだけだった。現在は、モフィットさん、モフィットさんの妻、娘2人の部屋にそれいぞれ1台ずつ、合計4台のパソコンがある。同じ期間に、モフィットさんの円形ハゲは1個から4個に増えた。
「ダーリン、Windows95が立ち上がらないの。どうして何度も同じことくりかえすのかしら」
「パパ、リモートのドライブが認識できなくなっちゃった。もっと簡単に操作できるようにならないの」
「ねえ、このjpgファイルはどうして開かないの? 私が素人だと思って、パソコンもパパも私のことバカにしてるんでしょ」
家族全員がパソコンを所有するようになったいま、モフィットさんは1日24時間体制で、カスタマーサポート係として様々な質問に答えなければならない。モフィットさん自身がこれまで、きつい口調でカスタマーサポートをなじるのを傍らで聴いていたためか、家族もまた、厳しい言葉をモフィットさんにぶつける。
しかも、モフィットさんが与える簡単な指示で、家族がピンチから抜け出せることはほとんどない。クリティカルな場面でのパソコン操作、新しいソフトウェアのインストール、DRAMの増設、ハードディスクの交換などは、ほとんどがモフィットさんの役割だ。
「自分だけのパソコンでも、管理はけっこう大変だったからね。それが4倍になれば、どれほど辛いかということに、気が付かなかったオレがバカだった」
モフィンさんは悔やむが、通販で買った1000ドルパソコンの無料返品期限はすでに切れている。
* * *
ミネソタ州に住む公認会計士、ジェフリー・プラットさんはある日、帰宅してすぐ、小学校教師の妻にこう質問された。
「ダーリン、Wordの文書で、"Question"という言葉を含む段落の色を一括して赤に変更する方法はないの?」
職場ではExcelを高度に活用しているプラットさんだが、Wordはほとんど使ったことがない。マニュアルを読んで、キー操作を記録できることまではわかったが、どう繰り返すのかがわからない。試行錯誤しているうちに、高校1年生の息子が帰ってきた。
「簡単さ。"Question"を"Question"に一括置換して、置換後の段落スタイルのフォント設定で、色を赤にしとけばいいんだよ……。ほらね」
Wordが置換を終了した瞬間に、家族にとっての「頼れる男」も置き換えられた。プラットさんは翌日、失意のうちに会計士事務所を閉鎖し、独りで荷物をまとめて、マイアミ行きの飛行機に乗った。当初の人生設計より20年も早い、第2の人生のスタートだ。
「妻と息子の机の上にパソコンがなかったら……」
フロリダのまばゆい陽光の下で、プラットさんは今日も唇を噛みしめる。
* * *
発展途上国でも、1000ドルパソコンが家長の地位を弱体化させている。なかでも注目すべきは、中近東諸国の家庭における動きだ。
サウジアラビア南部のオアシスに張られたテントのなかでは、羊飼いのナジド・ラキームさんが、4人の妻に囲まれ、延々と続く呪いの言葉にじっと耐えていた。
「アッカズィーム サラクアッ アサウィーズ サァッウィ ハーミド?」
「フィズード ズサフィー タリアーム ズィヒー シグィード!」
「ア タッアーウィ アハッムィー ラー イラルズーヒー!」
「カィファ スリーア ザイド ハジ! ハジ! ハジ! ハジ! イッフィファーブ ハジラ!」
ラキームさんは、ベールの奥で燃え上がった怒りの視線を背中に感じながら、4台のパソコンのリセットボタンを次々に押して、神の加護を祈ったのだった。
1998/3/27
「あれ、道に迷っちゃったよ……そんなわけないよな」
東京・外神田で文房具の卸売店を営む山崎浩三さんは、首をひねった。幼いころから慣れ親しんだ外神田の街で道に迷うとは、どうしても信じられない。しかし、小切手の束を持って行くはずの、さくら銀行外神田支店がどこにも見つからないのだ。昨日まで「確かこの道に」などと考えこむ必要などなく、目をつぶっていてもたどりつけた銀行が、どこかに消えてしまった。
「オレ、ボケちゃったのかな」とつぶやきながら今来た道を戻って来た山崎さんは、昨日までステンレス製のビルが日光を歩道に反射させていた場所に、木造で瓦葺きの古風な店が建っているのに気が付いた。あっけに取られている山崎さんを暖簾の内側で見つけた男が、店先に出てきて会釈してから山崎さんに声をかけた。
「いらっしゃいませ。お待ちしてましたよ。さあさあ旦那、中にお入りなさいまし」
と言われても、唖然としたままの山崎さんは、一歩も動くことができない。あいさつした男が、外神田支店長であることは分かる。しかしこの男がなぜ、ちょんまげを結って、「御為替三井組」と襟に記された和服を着ているのか、山崎さんには到底理解できなかった。
4月1日にいよいよ実現した和風ビッグ・バン。日本の金融市場を大きく変えるという点で、有識者や業界関係者の意見は完全に一致しているが、具体的に和風ビッグ・バンが何を指し示すのかについて、個々の金融機関の見方はさまざまだ。日本最初の私営銀行の流れを汲むさくら銀行は、徹底的とも言える日本的金融機関への回帰を目指している。無論、すべての銀行が、和風ビックバンを同じようにとらえているわけではない。
東京駅近くにそびえる、東京三菱銀行本店。その地下にあるコンピュータ・ルームでは、4月1日の開店時間直前まで、勘定系ホスト・コンピュータの大規模なプログラム改造が行われていた。
北は九州から南は沖縄に到るまで、全国各地の支店に取り付けられたATMや窓口の端末、支店のコンピュータから、膨大な量のデータが次々とこのホスト・コンピュータに送られてくる。預け入れ、引き出し、送金、公共料金の支払い……。ATMや端末からみれば、すべての決済は3月31日までとまったく同じ方式で行われているように見える。しかし、4月1日から、ソース・コードの加減乗除の前には「え〜、願いましては」、その後には「也」というコメントが付け加えられている。顧客や一般の行員が気が付かないところで、和風ビッグバンは着々と進行しているのである。
変わるのは、市中銀行だけではない。銀行の銀行として、金融市場全体の動きを司る日本銀行もまた、新しい時代への対応を迫られている。
群馬県安中市郊外にある、日銀農場に並ぶビニール・ハウスの内部では、早くも菊が満開になっている。昨年まではこの時期、マーガレットが咲き乱れていた。
「関東地方の中小企業の倒産が増える、増えない、増える、増えない、増える、増えない……」
花びらを一枚一枚抜き取りながら、企業短期経済観測調査用の基礎データを収集する女性のアルバイトも変わった。3月31日までは県立安中女子高校の現役学生。4月1日からは、その前身である旧制安中女学校を戦前に卒業した老女たちが、60年ぶりに庇髪を結って、景気予測に協力している。
黄色の菊と、白いマーガレットの間で、データにどんな違いが出るかはわかっていない。ただ、日本の金融システム全体が、全く予測のつかない領域に踏み出したことだけは、確かである。
1998/4/2
高校ではアメリカン・フットボール部の花形クォーター・バック。好きなミュージシャンはスティービー・ワンダー。こんなありふれた「告白」が世界中を驚かせたことは、未だかつてなかったはずだ。
世界最大のソフトウェア・ベンダー、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長がこのほど発表した著書、"The Road Behind"(邦題は『ビル・ゲイツ、過去を語る』)がいま、話題を呼んでいる。ゲイツ氏お得意の未来社会のビジョンではなく、これまで謎に包まれていたゲイツ氏の少年・青年時代の回顧がほとんどのページを占める。
「どんなに優れた製品でも、こんがり日焼けした筋肉モリモリの男が売りにくれば、興味を示さない。ソフトウェア産業とは、そういう世界だ」。BASICのセールス失敗後、ゲイツ氏はそう悟り、次の日からわざと冴えないルックスで顧客やマスコミの前に現れるようになった。ゲイツ氏の判断が正しかったことは、マイクロソフトの昨年6月期の売上高、113億ドルが証明している。
これほど嫌われる大企業の経営者も珍しい。しかし、少なくともシェアから判断すれば、マイクロソフトの製品は嫌われていない。仮に、ゲイツ氏がハンサムで、ヘルシーで、マッチョで、しかもファンキーな男だったら、業界関係者はコンプレックスを感じ、マイクロソフトの製品に対しては無関心を装ったのではないか。
ちなみに、ゲイツ氏自身の言葉を借りれば、成功の秘訣は新興企業の買収でもなく、なにふり構わぬシェア拡大でもなく、「皮膚脱色薬を飲んで白人に変身すること」だそうだ。
NIFTY-SERVE FCOMEDYS 第7回嘘競演参加作品 お題『ビル・ゲイツ』
1998/4/2
「おかしい。こんなことはありえないはずなのに」――「環境ホルモン」問題の専門家、横浜市立大の井口泰泉教授が、荒川で収穫されたばかりのフナ100匹を解剖してつぶやいた。多摩川のコイでは、オスの精巣が異常に小さいなどの問題が発見されたが、荒川のフナには何ら問題がないのだ。精巣が正常なだけではなく、脳、消化管、浮き袋、筋肉、ヒレなど、体のどの部分にも病状が発見されなかった。100匹を解剖して1匹も不健康なフナがいない。これは明らかに、「異常健康」である。
前回、大規模な健康調査が行われたのは、まだ荒川がきれいだった昭和14年。このときには100匹のフナのうち6匹が下痢や腹痛、5匹がしつこくノドにからみつく痰、3匹が疲れ目や視力の低下に悩んでいるという調査結果が出ている。今回の調査ではいずれも発見できなかった。井口教授は、「環境ビヨフェルミン」「環境龍角散」「環境サンテドウー」によって、それぞれの症状がすっかり治ってしまったのではないかとの見方を強めている。
このほか、今回捕獲されたフナには、1匹あたりウナギ3匹に相当するスタミナがみなぎっていた。井口教授は「環境赤まむしドリンク」が河川に流れ込んでいる可能性が強いと指摘している。
これら、「環境薬品」が増加したのは、使用期限が切れた薬品が捨てられ、その成分がゴミ捨て場から川に流れたとの見方が有力だが、詳しいことはまだわかっていない。今後、多くの「環境薬品」の存在が確認されれば、水を飲んだり、空気を吸ったりするさいに、「環境薬剤師」に相談する必要も出てきそうだ。
1998/4/5
「動いちゃだめですって、いってるじゃないですか、あなた。……もうちょっと。ほら。こんなに大きいのが取れましたよ。こんどは右のほう。こっちを向いてください。そうそう。……こうやって、私のひざの上で横になっているあなたの顔を見ると、結婚して、はじめてきれいにしてあげたのが、昨日のことのようですね。あなたはもう忘れたでしょうけれど。あなた、純一、功二、健三。考えてみると、今日までいったい何回、この縁側で、お天気のいい日に、旦那様と、子供の頭を膝の上に載せて、ほじくってあげたんでしょうねえ……。また取れた。ほら。あ、まだありますよ。………でも私は幸せでしたよ。息子3人はお嫁さんをもらって、あなたは定年退職して、これからは毎日、こうしてあげられますからね……。はい終わり。あらいやだ。もう寝ちゃってる。あなた、起きてくださいな。カゼひきますよ。あなたってば……。でも今日はあたたかいから、このまま少しだけ寝かせてあげようかしら。こうして口を開けて寝てるところなんて、新婚のころとぜんぜん変わりませんねぇ……」
女性の歯医者と結婚した理由
・高収入だから 26%
・知的だから 18%
・手先が器用だから 11%
・日曜日の午後に縁側で歯石を取ってもらえるから 45%
(日本歯科医亭主連盟調べ 1995年)
1998/4/26
ボルト25本が抜き取られたばかりの東海道新幹線で、今度は静岡県内の新丹那トンネル(全長7959メートル)の一部が何者かによって破壊される事件があった。
異常を発見したのはJR東海の検査要員。始発発車前の検査で、熱海側のトンネル入り口から約3センチのコンクリート壁と土砂が削り取られているのを見つけ、すぐ熱海駅に知らせた。
近所の人によれば、数カ月前から不審な男が何度かフェンスを乗り越えてトンネル入り口に立ち、宙をつかむような動作を繰り返していたという。JR東海では、この男がトンネルの穴を奪うことに失敗したため、腹いせにトンネルの外壁と山を削りとったものとみている。
なお、現場にはすぐにJR東海のベテラン技術者が到着し、手探りでトンネル本体に被害がないことを入念に確認した。ダイヤの乱れなどはなかった。
1998/5/5
その日も、ボクたちはドライブに出かけた。どこへかって? そんなことはどうでもいい。「どこへ?」なんて質問は、間抜けだから聞かないでほしい。少なくともボクには。
とにかく、その日、ボクと、パパと、ママと、妹はワゴン車に乗っていた。パパはいつものように運転席。ママは助手席。ボクは後ろの席の右側、妹は左側さ。パパはいろんな車を持っているけれど、その日はワゴン車だった。ボクはワゴン車が好きだよ。小さい車はおっかない。知ってるかい? 小さい車と大きい車がぶつかるとね、だいたい、小さい車がペシャンコになっちゃう。だから、大きい車が好きなんだ。
大きい車だけどね、その日はこわかったよ。だって、パパがすごいスピードで走るんだ。ボク、スピードは慣れてるけど、やっぱりこわい。妹もね、あ、その日ボクの隣に座っていた妹じゃなくて、その前の妹のことなんだけど、1歳で死んじゃったよ。パパがスピードをもうちょっと落としていれば、死ななかったと思う。すごくかわいい妹でね、ボク、守ってあげようって決めてた。でも、すごいスピードだったからね。なんにもできなかった。
いまの妹だって、かわいいよ。でも、あんまり話さないようにしてる。前の妹が死んだとき、すごく悲しかった。話をしなかったら、仲良くならなくてすむし、妹が死んだとき、悲しくならないでしょ? ボクがもし死んだとしても、それが冷たくていやなお兄さんだったら、妹だってそんなに泣かないと思うし。
だから、ママのことは、嫌いじゃないんだ。いまのママはボクと話をしようとしない。でもね、それはきっと、ボクと同じことを考えてるからだと思うよ。いつか、ママが死んだとき、ボクを悲しませたくないのさ。
パパとはよく話すよ。パパはね、自分の仕事の話をするのが好きなんだ。パパの仕事は、大ぜいの人の命を救う仕事だって。おまえの昔の妹が死んだが、それは無駄にはならないって、だからおまえもおまえがしていることに誇りを持って死んでいきなさいって、パパは何度も何度もボクに言い聞かせたんだ。
ボクにもそれはわかるんだけれど、それにしても、その日のパパは、ちょっと普通の日とは違ったんだ。ママも心配だったみたいで、もうちょっとゆっくり走ってってお願いしたんだけれど、パパは「会社の将来がかかってる」って言って、もっとスピードを上げたんだ。
そのとき、ボクたちの前に、黒塗りの大きなセダンが見えた。最初はすごく遠くにあったから、中はもちろん見えなかったけれど、ボクは思った。あの車の中にも、ボクたちと同じような家族が乗っているはずだって。きっと、あの家族のパパも、「会社のためだ」とか言って、思いっきりスピードを上げたんじゃないかと思う。
だから、向こうの車はどんどん近づいてきた。パパもママも、「ワーッ」って大きな声を上げた。ママは両手で顔を隠してた。でもパパは、車がへんな方向に曲がらないように、最後までハンドルをしっかりつかんでた。
ボクは目をつぶらなかった。へんな話だけど、向こうの車がすぐそこまで近づいたとき、ボンネットの上にある、まるのなかにYの字を逆さまに書いたマークが見えたんだ。どっちの車もすごいスピードで走っていたから、ほんの短い時間のはずなのに、ボクはいまでもはっきりと思い出すことができる。そのときボクは、向こうの車のマークと、ボクたちがいままでに乗ったいろんな車のマークは、ちょっと似ているなって、考えた。それから、死んだ妹のことを思い出した。死んだママのことも思い出した。パパが「おまえがしていることに誇りを持って死んでいきなさい」って言ってたのも、思い出した。
どのくらい、気を失っていたのかわからないけれど、気が付くと、ボクたちの車はペチャンコになっていた。パパとママは、見えなかった。これはあとで聞いた話だけれど、細かいかけらになっちゃったんだ。妹もね。かけらになったら、助からないよ。ボクの体もひどかったけれど、それでもかけらにはならなくて済んだから、運が良かったと思う。だって、ボクたちの乗っていた車の長さは、半分くらいに短くなっていたからね。相手の車は、やっぱり前のほうはひどかったけれど、運転席の後ろはそんなに壊れていなかった。ボクたちの車のほうが大きかったはずなのに、すごいなって、こんな車を作る人たちはすごいなって、体から10メートルくらい離れた地面の上に転がった頭で、ボクは考えた。
そのあと、白衣を着た人間がたくさんやってきて、巻き尺で2台の車の残骸の長さを図って、こう言ったんだ。「では、株式の交換比率は1対0.54ということで……」。パパは0.54っていう数字で、喜んでいるのかな。それはボクが天国に行ったとき、パパに聞いてみればわかることだね。
それからどうしたかって? 首と手と足を元に戻してもらって、新しい家族の仲間に入ったよ。あの、黒塗りのセダンに乗っていた家族さ。ボクの家はパパ、ママ、妹が死んだんだけど、向こうのセダンでも、シートベルトをしめ忘れた息子が死んだんだって。だから、ボクが向こうの家の息子になったんだよ。
そろそろ行かなきゃ。また、いつものドライブに出かけるんだ。えっ、新しいパパとママ? うーん。いまボク、迷っているんだ。ドイツ語習ったほうがいいのかどうか。やっぱり、仲良くなるといつか辛くなるからね……。
1998/5/7
15日、ジャカルタ市内の商店から食料などを略奪し(写真1)、バスをひっくり返し(写真2)、デパートに放火した(写真3)暴徒の集団のなかには、はっきりと「謎の猿人 バーゴン」の後ろ姿が……(拡大写真1、2、3)。
1998/5/17
日本を題材にしたアメリカ映画は昔からいくつもあるが、日本人が見て満足できるものは、ほとんどない。第一に日本人を演じている日系人の話す日本語が、在日米系芸能人並みに不自然なのだ。和服は「ゲイシャ・ガール風」でやっぱりおかしい。
しかしそれも、しかたがない。アメリカ映画が描写しているのは、アメリカ人にとって面白い日本人であり、本当の日本人がどんな言葉を話し、どんな風に行動するかなど、最初から問題とされていないのだ。
その点、ゴジラは安心できる。日本が世界に誇るこの映画スターは昔から、アメリカ人の観衆の前で、山手線をひっくりかえし、東京の街を踏みつぶし、自衛隊と戦ってきた。今回東宝から権利を買いハリウッドで新作の"Godzilla"を制作したのは、ほかでもないソニーピクチャーズ。ゴジラは、「アメリカナイズ」されたりしない。そう期待して、いや信じて、試写室に入った。
結論から言うと、私の期待は当たったとも言えるし、外れたとも言える。監督のロナルド・エメリッヒが描いたのは、我々が知っているあのゴジラではなかった。「ID4」の醜いエイリアンが巨大化し、火を吐いたわけではない。"Godzilla"は東宝もびっくりするほど、和風の映画だったのだ。
冒頭のシーンだけ紹介すれば、それは分かってもらえると思う。江戸時代の小石川養生所。町医者にかかる金のない貧民たちに、漢方薬を処方しているのがゴジラだ。夕方になり診察がようやく終わった。長崎でオランダ医術を学んだ若い医者が、ゴジラの下した診断に疑問を抱き、食ってかかる。ところがゴジラは背中を向けたまま。「どうして何も言わないのですか!」。若い医者が近づくと、なんとゴジラは黙々とサッポロビールを飲んでいた……。
日本が世界に誇る数少ないスターを、そのままの形でハリウッド映画に登場させたい。エメリッヒとソニーピクチャーズのそんな切実な思いが、大いなる勘違いを産んだ。そうとしか思えない。
1998/5/25
【男の海、玄界灘】
玄界灘は、男の海だ
カモメの唄が告げている
鰤が来たぞと呼んでいる
逆巻く波を切り裂き進む
舳先に腕組み仁王立ち
捻り鉢巻ききりりと締めて
今日も泳がす大漁旗
だけどおいらはタヒチの漁師
カヌーこぐこぐ珊瑚礁
木綿のふんどし捲いたなら
今日も夢見る、玄界灘の波しぶき
1998/5/26
「オラオラオラァ、右上の奥歯にほうれん草の筋がひっかかってるぞぉぉぉ」
「ひぃぃぃぃっ、はずかしい」
「オラオラオラァ、左下の犬歯には、青海苔がこびりついてるぞ。このあまぁ、気取った顔しやがって、お好み焼きでも食ったのかぁぁぁ」
「ひぃぃぃぃ。許してぇぇぇぇ」
「オラオラオラァ、恥ずかしいかぁ。検査してやるぞぉ。A4バツA5バツA6から12までマル……」
「ひぃぃぃぃ。やめてぇぇぇぇ」
「オラオラオラァ、ビビビってきたかぁぁぁぁ」
「ひぃぃぃぃ。きたぁ、きたぁ……」
「オラオラオラァ、のどちんこが濡れてるぞぉぉぉ」
「ひぃぃぃぃぃ……」
「オラオラオラァ、こんなのどちんこで、赤いスィートピー歌ったのかぁぁぁ」
「歌いましたぁ、歌いましたぁ。ひぃぃぃぃぃぃ……」
「オラオラオラァ、唾液吸い出してやるぞぉぉぉ」
(ジュルジュルジュルジュルジュルジュル……)
「はい、うがいしてください」
(ゴロゴロゴロゴロ、ピィッ)
「オラオラオラァ、脱脂綿詰めてやるぞぉぉぉ」
「うぃぃぃぃ、うぃぃぃぃ……」
「オラオラオラァ、鏡で奥のほうまでみてやるぅぅぅ」
「はぅわうぃぃぃ、はぅわうぃぃぃ」
「オラオラオラァ、赤いスィートピー、歌ってみろぉぉぉ」
「うぃうぃううぉーわうー…………………… うぃぃぃぃぃぃ」
「オラオラオラァ、カラオケだってあるぞぉぉぉ」
「ぐわぁぐうぃぃ…………………… うぃぃぃぃぃぃ」
「オラオラオラァ、青い珊瑚礁、歌ってみろぉぉぉ」
「うぉぉごぅぃううがぉーわうー…………………… うぃぃぃぃぃぃ」
「オラオラオラァ、『野菊の墓』のポスターだぞぉぉぉ」
「ぐぐわぃぎぃぃ…………………… うぃぃぃぃぃぃ」
「オラオラオラァ、ポッキー・オン・ザ・ロックだぞぉぉぉ」
「ぐぐわぃぎぃぃ…………………… うぃぃぃぃぃぃ」
「オラオラオラァ、今度は木曜日の午後三時から来るかぁぁぁ」
「うぅぅぅぅっ、うぅぅぅぅっ、うぅぅぅぅっ……」
1998/5/26
1850年の5月30日、「吹奏楽器の鬼」ことジョン・マッケンジーが、ロンドンで吹奏式オルガン、今日でいう鍵盤ハーモニカを発明した。マッケンジーがこの日までに製作した楽器は、吹奏式バイオリン、吹奏式テインパニー、吹奏式シンバル、吹奏式トライアングル、吹奏式ハープ、吹奏式ギターなど実に500種類以上。ヨーロッパではほとんど手に入れることができなかった琴や三味線、二胡も吹奏式に改造している。
しかし当時の吹奏式オルガンは、誰にでも使える楽器ではなかった。マッケンジーは、説明書のなかにこう記している。
「美しい音を奏でるためには、一定水準以上の気圧が必要です。演奏者は毎日大量の蛋白質を摂取して、エネルギーを蓄えるよう心がけましょう」
翌年、ロンドンの万国博覧会に出展された吹奏式オルガンは、世界中から集まった観客の視線を釘付けにした。マッケンジー自らがバッハの「トッカータとフーガ」を演奏した夜には、ロンドン市内で500人以上が気絶したという。当時の『タイムズ』紙は「楽器としてではなく、武器としての可能性に注目したい」と記している。
それから40年後の1890年には、孫のアイザック・マッケンジー3世が口で吹くタイプの衛生的吹奏式オルガンを発明。すぐにロンドンの小学校で教材として採用され、第二次世界大戦後には、日本を含む世界各国の小学校で教材として使われるようになった。
現在でも、毎年の5月30日にはロンドン市内の一角で、一部の熱狂的なマニアたちが吹奏式オルガンを演奏し、マッケンジーを偲ぶ。吹奏式オルガンは約150年前の設計を忠実に再現したもの。付近の住民から浴びせられる罵声も、当時とまったく変わらない。
1998/5/30
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今日のあなたの運勢は?
●不知火型のあなた 思わぬ不運にまきこまれそう。準備運動はおこたらないこと。とくに下半身のケガに気をつけて。ラッキーカラーは青房。
●雲竜型のあなた 復活のチャンス。新しい出会いの可能性あり。押し相撲よりがっぷり四つで。うっちゃりは恋のルール違反よ。
横綱会員誌『頂点』6月号から |
1998/5/30
私はその青い錠剤を口に含み、コップ1杯の水とともに呑み込んだ。
「使用上の注意」に従って、照明を暗くし、目を閉じてベッドに横たわった。
すぐに、白と黒の不規則な模様が見え始めた。やがてその模様は中央に集合し、巨大な塔のようなものを形成した。ピントが合うように、ぼんやりとしていた情景が次第に明確になった。
打ち上げ台の傍らに立つ、巨大なロケットだ。
白黒のテレビでそのロケットの勇姿を初めてみたとき、私はまだ中学生だった。液体燃料を5本束ねた第1段の推力は3,400トン。アポロ宇宙船と先端の緊急脱出装置を含む高さは110メートル。アメリカが技術の粋を結集して開発し、人類を初めて月に運んだサターン5型ロケットだ。機械に興味を持つ少年なら、誰でも当時の新聞が伝えたサターン5型のスペックを暗記していた。私もまた、例外ではなかった。
幻覚の中のケープ・カナベラルに、場内放送が響きわたった。
「液体燃料充填、90%完了。打ち上げ40分前」
自信に満ちたその声は、当時のアメリカを象徴していた。ソ連との宇宙開発競争に勝ち、人類を月面に立たせるというゴールが、目前に迫っていた。アメリカ人は「自由主義を守るためのベトナムへの軍事介入」が、当局の説明通り、すぐに終わると信じていた。それは、アメリカの発展が人類の繁栄に直結していた時代だった。
「液体燃料充填、95%完了。打ち上げ30分前」
ロケット内部のケロシンタンク、液体酸素タンクが満たされると同時に、私は体の中心に、熱い血潮が流れ込むのを感じていた。私が1989年の秋を最後に失っていた自信を、その青い薬は、アメリカの自信を象徴する巨大なロケットの幻覚により、いとも簡単に取り戻してくれたのである。
「打ち上げ20分前……。」
私の愛らしいサターン5型もまた、天井に向かって垂直にそそり立った。いよいよ準備は完了した。久しぶりの勇姿を、妻にも見せてあげたい。
「おい、そろそろだぞ」
「ちょっと待っててくださいね。今すぐですからね」
秘かな興奮を含む声が、バスルームのなかから聞こえてきた。無理もない。妻にとっても、軌道に乗るのは1989年以降初めてである。これで気合いが入らないほうがどうかしている。
「12分30秒前……。12分前……」
私は慌てた。幻想の中では、バスルームから出てこない妻に構わず、秒読みが続けられている。打ち上げ台とロケットをつないでいたホース、コード、パイプも次々と取り外された。
「なにやってるんだよ、早くしてくれよ」
「ちょっと待っててくださいね。今すぐですからね」
「7分前……」
打ち上げ台から遠く離れた見物席では、アメリカ全土から歴史的一瞬に立ち会うためにやってきた人々や、世界各国の記者たちが、今か今かと打ち上げを待っていた。時間よ止まれと願っているのは、私だけだ。
「4分30秒前……」
非情な秒読み係には、私の願いなど知る由もない。私は発射台を襲うハリケーン、大地震、大津波、大隕石、人食いアリの大群などを想像して、なんとか打ち上げを延期させようとしたが、薬に含まれている成分が、ことごとく雑念をはらいのけてしまった。
「30秒前……、10、9、8、7……」
「待ってくれ、お願いだから、待ってくれ、まだ発射しちゃだめだぁぁ」
噴射を開始したロケットの轟音にかき消され、私にも自分の絶叫が聞こえなくなった。サターン5型は白い雲を吐き出しながら、青い空に向かってぐいぐいと突き進んでいく。3,400トンの推力を止めることは、私には到底できなかった。上昇とともにロケットの炎は小さくなり、やがて涙にかすんで見えなくなった。
打ち上げは、私にとっては失敗だった。しかし私はすぐに気を取り直した。いまから薬をまた飲めば、アポロ12号の打ち上げを見ることができるかもしれない。すぐに青い錠剤を口に含み、水とともに飲み干し、目を閉じてベッドに横たわった。
幻覚の中に現れたのは、真新しいアポロ12号ではなく、白い月をめざして突き進むアポロ11号だった。眼下には青いメキシコ湾と、黄色いフロリダ半島が見える。やがて、すべての燃料を燃やし尽くし、その使命を終えた第1段目が切り離された。地球の引力に吸い寄せられて第1段目は落下していき、大気の摩擦熱によって燃え尽きた。私は幻覚のなかで、アメリカの夢の一部だとは思えない、鉄クズが燃えつきるみじめな様子をいつまでも見つめていた。
「あなた、あなたったら」
気が付くと、私はいつのまにか、銀色に光輝く月着陸船の下敷きになっていた。私はいつのまにか月面に飛んだのかもしれない。
「あなた、寝ちゃったんですか」
月着陸船が、四つある脚のうち二つで、私を揺すっている。
「もう、あなたったら、起きてくださいよ」
よく目を凝らすと、それは、銀色のネグリジェを身にまとった、ふくよかな妻であった。
1998/6/8