やゆよ記念財団
ここには、1997年10月9日から1997年11月23日にかけて発表された、以下の15本の嘘が登録されています。
戦い終わったその夜に 食べて 食べて また食べて
肉も魚も飲み物も どんなに食ってもお代は同じ
ああ食べ放題、我らが誇り
夢からさめたその朝も 食べて 食べて また食べて
パンだタマゴだベーコンだ 斬られて死んだら食べられない
ああ食べ放題、生きる喜び
昼寝のあとのおやつの時間 食べて 食べて また食べて
チョコにクッキー、ビスケット 無くなりゃ奪ってくればいい
ああ食べ放題、命の証
(ノルウェー国歌 『バイキングに栄光あれ』)
1997/10/9
まあるいおめめが濡れていた 木の葉のうちを壊さないで
かわいいおサルが消えたのは 森が小さくなったから
みんながどこに行ったのか 京大霊長類研究所にも
わからない わからない
さあいま 山に行こう 木を植えよう
焼き畑なんか もうやめよう
アイアイアイアイヤ〜 アイアイアイアイヤ〜
おサルさんならまだ助かる
ぼくらの国も まだ助かる
ながい中指ふるえてた ごはんのムシを奪わないで
南の島の人気者 子供の歌のなかだけに
絶滅防ぐ方法は ナショナル ジオグラフィックにも
のってない のってない
さあいま 立ち上がろう ゴミ拾おう
みやげの剥製 もう買わない
サルサルサルサルヤ〜 サルサルサルサルヤ〜
アイアイさんなら まだ助かる
ぼくらの国も まだ助かる
(『マダガスカルなら、まだ助かる』)
1997/10/19
コアラがいねえ 珊瑚礁がねえ
カンガルーもいねえ デッカイ牧場もねえ
牛肉は日本に輸出してねえ なまりのきつい英語もねえ
エアーズ・ロックもねえ 水上スキーのサンタもいねえ
先住民族残ってねえ 南十字星なんてどこにも見えねえ
ニュージーランドは隣じゃねえ
オリビアニュートンジョンなんて聞いたこともねえ
あれもねえ これもねえ
なんにもねえけど 仕方がねえ
だってオーストラリアじゃねえ
(『オーストリアで悪かったな』)
1997/10/19
な〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(息継ぎ)
が〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(息継ぎ)
い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(以下省略)
(チリ国歌 『長い祖国、チ〜〜〜〜(以下省略)』)
1997/11/27
慶応四年四月十日の夕刻、江戸城の一角で、ある御前試合が行われた。出場したのは、全国から選りすぐられた、ぎゃふん道の達人、たった三人。
老中、板倉勝静が声高に叫んだ。
「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」
一人目の達人、堀井庄三郎は、板倉の駄洒落に
「ぎゃっふぅん」
と応え、そのまま見事なとんぼ返りを切ったかのように見えた。
ところが、尻を空高く上げ、地面に向けて万歳した堀井は、その勢いを保ち、空中で猛烈な回転を続けている。
ぎゃふん道の姿勢としては、基本中の基本といえよう。この堀井庄三郎という会津藩士の凄いところは、基本の姿勢を保ったまま、空中で回転を続けていることにある。堀井を支えているのは、厳しい鍛錬で養った精神力しかない。
その場に居合わせた幕臣たちは、初めて見る技に息を呑んだ。書物の中の空想でしかないと思っていた「術」を、彼らの目の前で、生身の人間がこうして実際に使っている……。
ただ一人、悲しい視線を堀井に向けている男が、この場にいた。徳川第十五代将軍、慶喜である。
戦国のころ、ぎゃふんを知らぬ者は戦場で生き残ることができなかった。しかし、太平の世が二百六十五年続いた結果、ぎゃふんを解す武士は、ほとんど残っていない。
「それでも、良い」
と慶喜は思っている。笑いの形は、時代とともに変わっていく。横浜見物に行った腰元の一人によれば、最近は米利堅人の講釈が流行りらしい。向こうの講釈師は、座布団の上に座らない。羽織も着ない。立ったまま、人種についての冗句を早口でまくしたてる。慶喜をはじめとする武士階級には通じない笑いだが、庶民はこの新しい笑いに飛びついた。
そして、薩摩、長州もこの洋式の笑いを熱心に取り入れている。
次に登場した達人は、越前藩でぎゃふん道の指南役を務める落合竹造。
「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」
落合竹造もまた、
「ぎゃっふぅん」
と返し、宙に浮かんだ。堀井庄三郎と違い、落合は直立したままだ。しかも、速度を増しながら上昇していく。あっという間に、落合は朱色に染まった雲の中に消えてしまった。
回転と並ぶぎゃふん道の基本、噴射である。ただ、落合の場合は噴射の量が人並みはずれていた。なにを噴射したのか。多少の嗅覚を具えた者なら、考える必要はなかった。
前の年の十月十三日、慶喜は京都で、朝廷に対して大政を奉還している。幕府に日本を統治する能力がないことを認め、徳川家が代々継承してきた政権を放棄したのである。
その日の夜、慶喜は板倉勝静を呼び寄せ、こう命じている。
「ぎゃふん道の達人を集め、御前試合を開くのだ」
板倉は、聞き返した。
「この時期に、御前試合でございますか」
板倉の疑問は、当然である。ぎゃふんを主力とする旧来の戦術で、米利堅や英吉利から新しい笑いを導入している薩摩藩や長州藩にかなわないのは、すでに明白である。大政奉還の結果、薩長がすぐに幕府に対し決戦を挑む可能性はなくなったとはいえ、御前試合をしている余裕など、とてもない。
「最強の使い手、五人、いや、三人でよい。今から手を尽くして集めるのだ」
「しかし、」
「板倉、お前は黙ってわれの言う通りにすればよい」
と言って、慶喜は微笑んだ。この、深謀の将軍がなにを考えているのか、板倉にはまったく見当がつかない。
最後に登場した達人、桑名藩士飯田慎太郎は、手足が細く、色白で、目鼻立ちの整ったなかなかの美男子である。他の二人の達人のような力強さ、荒々しさは、飯田の外観からは少しも感じられなかった。
「隣の家が囲い作ったってねぇ。かっこいい」
「ぎゃっふぅん」
飯田が、美男子に似つかわしくない鼻から息が抜けたような音で答えたのは、声色をわざと変えたからではない。いつのまにか、飯田の目と鼻は二つずつの点になっていた。そして、小さな鼻からずるずると洟が出て、またたく間に足下に小さな池ができた。
ぎゃふん道のなかで最も難しいと言われる、「洟垂れ小僧」である。
堀井庄三郎、飯田慎太郎、そして蛇の目傘を手にゆっくりと地上に降りてきた落合竹造。三人があらん限りの力を出し尽くした、見事な勝負であった。日本のぎゃふん道は、その命を終える寸前、頂点に達したと言って良い。慶喜がいなければ、この劇的な御前試合は実現しなかった。ぎゃふん道の最後の華を咲かせるために、天が徳川慶喜という男を地上に遣わしたとしか思えない。
その慶喜はやや考えた後、紙に筆で何かをしたため、これを折り畳み、板倉勝静に渡した。中には、御前試合の勝者の名前がある。堀井庄三郎か、飯田慎太郎か、落合竹造か。勝者は誰なのか。
板倉は、紙を広げ、これを三人の達人に向けて高く掲げ、大声でこう読み上げた。
「練習終わり! これより本番!」
予想もしていなかったオチに、さすがの達人たちも慌てたのであろう。美男子に戻っていた飯田慎太郎は再び洟垂れ小僧化し、隅田川を江戸城に引いたかと思われるほど勢いよく洟を吹き出した。落合竹造はまるで大砲の弾丸のように、江戸城の天井という天井、壁という壁を突き破った。堀井庄三郎の回転は、大奥を一瞬のうちに廃墟にした。
江戸城全体が崩落するまで、小半時もかからなかった。
翌四月十一日、江戸城はそのままの状態で新政府に明け渡された。それ以降、歴史の表舞台に登場することは二度となかった慶喜だが、退隠先の水戸に向かう途中、表情はまるで勝者のように晴れやかだったという。
NIFTY-SERVE FCOMEDYS 第4回嘘競演参加 お題:『ぎゃふん』
1997/9/15
セキュリティの不安が原因でなかなか普及しなかったインターネット経由の通信販売が、個人認証技術の進歩を受けて、ようやく本格化の兆しを見せている。大手の通信販売会社も相次いでホームページを開き、日用品やスポーツ用品の販売に乗り出した。以下、実験の段階から実用化の段階に進歩しつつあるEコマースの実例について、レポートしてみたい。
私が利用してみたのは、10月1日にオープンした日本生活センターの通信販売ページ。まず、トップページから「収納用品売場」に飛び、たくさんの画像のなかから、「これは便利! 楽々ローラー付き押入収納タンス」を選んだ。コンピュータやインターネットとはまるで関係のない押入収納タンスを購入できるようになったことは、インターネットがまるで電話のように、日常生活に密着した道具になったことをよく示している。
買いたい商品を選択したあと、「認証の部屋」に進む。簡単に説明すると、認証とは、私が私であることを確認するための手続きを指す。インターネットを利用して客が買い物した場合、店は、客が客本人であることを確認しなければならない。確認しないままモノを売れば、他人の名前を騙って買い物する人間が必ず出てくるからだ。このあたりが、客が実際に店に行き、店員に顔を見せて、現金やクレジット・カードを直接手渡す通常の買い物と違うところである。
これまでは、安全な認証の方法が確立されていなかったため、Eコマースの利用には危険が伴った。しかし、通信販売業者やプロバイダ、パソコン・メーカーや公安調査庁が共同で設立した日本個人認証協会が新しい認証方式を開発したため、セキュリティ面の不安は完全に解消した。
名前と生年月日を入力してください。
間違えないよう気をつけながら、ブラウザに表示される質問に、慎重に回答する。しかし、私の名前と生年月日は、多くの人が知っている。これだけでは、私が私本人であることを確認することはできない。
住所と電話番号を入力してください。
続けて回答するが、これも、調べればわかる情報だ。
左右の裸眼視力を入力してください
右は0.3、左は0.5。次第に、他人には調べるのが難しい情報になっていく。
高校3年間のテストで、あなたがとった最低の点数は、何点ですか?
この情報は、かなりの手間をかけなければ他人には知ることができないが、私には「18点」であることが容易に思い出せる。忘れもしない、高校2年の冬、私に文系への進学を決意させた、数学の期末テストの点数である。
あなたは2ヶ月前、三光お茶の間ショッピングで高性能望遠鏡をお買い求めになりましたが、何を見ていますか?
通販各社が参加している機関だけに、このあたりの質問は鋭い。とりあえず、「ザトウクジラ」と入力してみる。
ハズレ 【再入力】【認証手続きを中止】
と表示されたので、再入力を選んでから、正直に「白百合女子学園」と入力した。質問はさらに続く。
あなたは3年前、エム・ジー・シー通販で、盗聴マイクをお買い求めになりました。目的は何ですか?
「ザトウクジラの声を聞くため」と入力したところ、予想通り、
ハズレ 【再入力】【認証手続きを中止】
と表示された。今度は正直に、「当時つき合っていた恋人と別れたくなり、友人に誘惑させて、情事の現場を録音し、テープをつきつけて脅すようにして別れた」と記入した。ところが、
ハズレ 【再入力】【認証手続きを中止】【詳細】
と表示され、先に進めない。納得がいかないので、詳細を選んだところ、
あなたのかつての恋人・飯田喜美子さんは、あなたの友人、島口健児さんと親密になったため、あなたとの別れを決意。しかしあなたを傷つけたくないとの心遣いから、わざとあなたに嫌われるような行動を続け、頃合いを見て島口さんから『情事盗聴作戦』を提案させ、あなたから別れ話をもちかけるようしむけたのです
と、衝撃の真実を初めて明らかにした。そういえば、島口とはその後、急に連絡がとれなくなってしまったし、喜美子も島口のことをしつこく質問した時期があった。そうかそれほどまでに賢い女だったんだなと、一人うなずきながら、「うまく乗せられた」と正解を書いたところ、ようやく次の質問に進むことができた。
あなたは1年前、エルアンコ・テレフォンショッピングで『これは凄い、飛距離が10倍に伸びるゴルフ練習セット』を購入しましたが、この結果、何人が死亡しましたか?
「ゴルフ練習セット」は確かに購入したが、すぐにゴムひもが切れて、足元に戻ってくるはずのボールがどこかへ飛んでいってしまい、届いたその日に使えなくなった。人を殺した覚えなどないから、「0人」と答えた。
ハズレ 【再入力】【認証手続きを中止】【詳細】
試しに「3人」と入力してみたが、やはりハズレだった。詳細を選択したところ、こんな情報が表示された。
あなたが強打したボールは65メートル先を飛行中だったハトを直撃しました。この影響で方向感覚がマヒしたハトは、25時間にわたって迷走飛行を続け、太平洋上空を飛行中だったサザンフィリピン・エア成田発マニラ行きB767型機の左側エンジンに吸い込まれました。このエンジンはすぐに爆発し、B767型機も空中分解。乗員乗客合わせて212人が死亡しました。なお、フィリピンと日本の運輸当局はテロリストによる犯行との事故報告書を発表しましたが、これは誤りです。責められるべきは、説明書をよく読まず、ゴルフ練習セットを使ったあなたなのです!
これは申し訳ないことをしたなと思いながら、正解の「212人」を入力し、次に進んだ。
さて、このあともスペースシャトルの爆発事故、応仁の乱、ローマ帝国の滅亡、農耕文化の発生などについて、私がいままで知らなかった事実が次々に明らかにされた。詳しい説明は割愛させていただくが、日本生活センターの個人認証より、私の自己認識の意義のほうがはるかに大きかったことだけは、強調しておきたい。
なお、思わぬ大惨事を引き起こすといけないので、「これは便利! 楽々ローラー付き押入収納タンス」は当面購入しないことにした。
1997/10/9
最近、東京都練馬区にある光が丘団地で、数か所の砂場がほぼ同時に消えた。
これらの砂場はいずれも、ペットの犬や猫が用を足すための場所になっていた。区役所が砂場に土をかぶせて花壇に変更したのも、近くの住民から悪臭についての苦情が寄せられたためだ。
日本の親たちは、砂場での遊びには教育的な効果がないと信じている。
現在、小学校2年生の村木賢一君は、4年前、光が丘団地内の砂場から約3キロ先にある埼玉県和光市・西大和団地の砂場までトンネルを掘って、日本土木協会技術賞(幼児部門)最優秀賞を受賞した。ところが、弟で5歳の正二くんは、砂場で遊んだ経験が一度もない。
「ゼネコンの債務処理状況が不透明なままでは、砂場にも将来はない」
と、母親の理恵さんは言い切る。
80年代中盤、砂場は子供たちの檜舞台だった。建設業界の未曾有の好況を背景に、砂場にも子供用ショベルドーザーやクレーンが持ち込まれた。ゼネコン系列の公共工事塾も次々とオープンした。年度末には、砂場の前に行列ができた。親たちは、砂場遊びが上手でさえあれば、それだけで将来は安泰だと信じた。
ところが、バブル崩壊とともに、建設業界や砂場を囲む環境は一変した。光が丘団地の一角には、誰が捨てたのか、子供用土木機械が放置されている。所々に赤錆が浮いた「KOMATSU」や「KATO」の文字から、わずか数年前までの砂場の活況はまったく想像できない。 熊谷組では今年、これまで25年間にわたって続けられてきた「夏休み親と子のアーチダム作り教室」をとりやめた。環境保護への関心の高まりで、ダムはいまや悪者になってしまったし、仮に作ろうとしても、日本には男のロマン、巨大アーチダムを作れるような河川がもう残っていない。
村木正二君のお気に入りの遊びは、糸電話。ただし、糸はない。
「これはね、ふつうのけいたいじゃなくて、じーえすえむのけいたいだよ」
EUで開発され、東南アジア各国が導入したGSM方式を正二君が採用したことは、子供の遊びが内需型から、輸出型に転換したことをはっきりと示している。
ブロック遊びは子供たちの間でなおも根強い人気を誇っているが、作られるのはパソコンや半導体といった小型高付加価値製品が主流になった。伊勢丹おもちゃ売場では、15センチ四方の地盤用ブロックが、1枚2円で安売りされている。お城や秘密基地などの不動産を作る子供がいなくなったため、地盤用ブロックが値崩れを起こしているのである。価格はピーク時の92年頃と比べ、100分の1以下。それでも買い手はほとんどいない。このほか、億万長者ゲーム、モノポリーなど、有価証券や不動産関連の遊びはどれも人気を失った。
いま、子供たちの遊びは、一部の分野を除いて深刻なデフレの状況にある。今後、規制緩和や大幅な利下げをこども銀行に求める声が強まりそうだ。
1997/10/25
もし、スポーツ新聞の一面を飾った大見出しが目に入らなかったら……。
もし、その日が35歳の誕生日でなかったら……。
もし、名前が「オサム」でなかったら……。
いや、「もし」を言うのはやめよう。彼はいま、この瞬間にも踊り続けているのだから。
大手食品メーカーの課長、伊藤治さんはその日、勤続13年間で初めて会社を無断欠勤した。京浜東北線に乗らず、浦和駅のホームから見える「サマンサ山口・ジャズダンススクール」へと向かった。ドアを開けた瞬間、「オレにもダンスを教えてくれ!」と叫んだ。そのとき、「すでに人間の目ではありませんでした」と講師の山口真佐子さんは証言する。
内気なために、学生時代からフォークダンスの輪にさえ加わったことがない伊藤さんを、一つの熱い思いが駆り立てた。
「オレだって、オレだって、15歳年下を孕ませてみたい」
伊藤さんと同じ思いを、数多くの中年男性が抱いている。(財)日本ダンス舞踊教室協会の調べによれば、22日から25日にかけて、国内のダンス、バレエ、日本舞踊教室に入門した未経験の中年男性は、5694人に達した。そのうち8割以上が、「イサム」さんと「オサム」さんだ。
伊藤さんはスーツ姿のまま48時間にわたって踊り続け、そして倒れた。救急車で病院に運ばれる途中、意識が朦朧となりながらも、「アムロ、オレのムーブを見ろ」と呟き続けていたという。
意外なことに、妻の美和さんは伊藤さんの変化に理解を示している。
「私だって、15歳年下の異性のほうに惹かれますからね。主人には、主人の信じる道を極めて欲しいと思っています」
幼い頃から心臓が弱く、医者には絶対安静を命じられた伊藤さんだが、美和さんの助けを得て、入院した次の日にはダンス教室に戻った。二つの夢を背負って、伊藤さんは今日も踊り続ける。
1997/10/25
株価が大暴落した香港ではいま、「プロジェクトA パート3」の撮影が快調に進んでいる。主演のジャッキー・チェンは今回、董建華行政長官の命を受け、外為市場で国際投機筋を相手に大暴れする。最大の見せ場はもちろん、スタントマンなしの1211.47ポイント急落。サービス精神旺盛なジャッキーは2回撮影するつもりだったが、「縁起でもない」と金融当局に阻止された。=写真=ジョージ・ソロス氏も、悪の化身役で映画初出演。
1997/10/25
米司法省がついに動きだした。なりふり構わぬマイクロソフト(MS)のシェア拡大戦略を、とうとう静観していられなくなったようだ。今回、司法省は基本ソフト「ウィンドウズ95」とホームページ閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラー」(IE)の抱き合わせ販売を停止するよう求めて、裁判所にMSを訴えた。しかし業界関係者の間では、司法省がオフィス用統合ソフト、開発環境など他の分野でも、MSに販売戦略の転換を迫るとの見方が強い。
米国では、カルテルやトラストに対する警戒感が日本では考えられないほど強い。その証拠に、米国内のスーパーマーケットでは、醤油だんごが必ず1串12個で売られている。日本のような1串3個式の包装だと、1個しかもらえなかった弟や妹が、一度に2個を頬張った兄や姉を反トラスト法(独占禁止法)違反で訴えることが多いからだ。1パックに2本入っていると、仲直りするどころか、兄が弟を、弟が兄を訴え、対立がさらに激化する可能性のほうが大きい。一方、1串12個なら、2人兄弟、3人兄弟、4人兄弟、6人兄弟でも無理なく分割できる。
反トラスト法の厳格な施行状況を語るとき、必ず引き合いに出されるのが、アラバマ・マグネット・コーポレーション(AMC)である。1950年代、工業用磁石の世界市場で95%以上のシェアを誇っていたこの巨大企業は、1959年、連邦取引委員会(FTC)の手で、N極専業メーカーのAMCノースと、S極専業メーカーのAMCサウスに分割された。ところが立ち入り検査のたびにノースの倉庫からS極が、サウスの倉庫からN極が発見され、両社は巨額の罰金を支払うよう命じられた。その後も両社はFTCからの改善勧告に従わなかったため、繰り返し罰金を科され、1963年1月6日、奇しくも全く同じ日に倒産している。
日本の家電大手、シャープでは、左右両開きの冷蔵庫を北米市場でも販売しているが、米国内の消費者に対しては、右利きの人は必ず右から、左利きの人は左から、両利きの人は必ず手前に引っ張って開けるよう呼びかけている。そうしなければ「右開き冷蔵庫と左利き冷蔵庫を抱き合わせで販売したと解釈される可能性がある」(シャープアメリカ上級副社長・河野治郎氏)ためだ。
不当な販売行為にこれほどまでに過敏な米国にあって、MSは巧妙な方法でシェアの拡大を図った。それは、ソフトの機能拡大である。
かつて、基本ソフトは単純で小さいソフトだった。同じMS製品でも、ウィンドウズ95が登場するまで最も代表的な基本ソフトだったMS−DOSには、ほかのソフトの実行やハードウェアの管理といった必要最小限の機能しか含まれていなかった。ソフトの機能が限られていれば、司法省やFTCにはMSのシェア拡大を阻止する理由がない(ただし、司法省の最近の調べで、IEをインストールするとネットスケープ・ナビゲーターが正しく作動しなくなる仕組みは、1983年ころMS−DOSのシェルのなかに取り入れられていたことが判明している)。
ところが、シェアが飽和点に達したころ、MSはソフトの機能を拡張する作戦に転じた。ウィンドウズ95は基本ソフトの一種だが、ネットワーク接続やFAX通信など、豊富なアクセサリーを含んでいる。ウィンドウズ95とIEの抱き合わせ販売も、IEの知名度がほかのアクセサリよりも高いという違いはあるものの、基本ソフトの機能拡張には違いない。基本ソフトの機能が増えれば、ユーザーは他社のソフトに頼らなくて済む。その結果、MSのシェアだけが上昇することになる。ちなみに、ウィンドウズ95の後継商品、ウィンドウズ98の日本語版には、「メモ帳」や「ワードパッド」の代わりに、MSが独自に開発した一太郎V12.0が搭載されることになっている。現在、ジャストシステムが販売している一太郎V8.0は、その簡易版に過ぎない。
MSという会社の体質をよく示す逸話がある。本社で開かれた会議で、副社長が、ウィンドウズ95の売れ行きが当初見込みを下回ったと報告した。ゲイツ会長を始め、重役たちの表情は暗い。次に副社長が、IEの売れ行きが当初見込みを若干上回ったと報告した。それでも重役たちの表情は暗い。最後に副社長が、ロータス、ノベル、ネットスケープの業績がいずれも前期よりも悪化したと報告した。重役たちは抱き合い、涙を流して喜び、その場でボーナスの増額を決めたという。
米司法当局者や他のソフト・メーカーは、MSのシェア拡大を強く警戒している。しかし、一般のユーザーが同じ懸念を抱いているわけではない。むしろ、基本ソフトと高度に整合されたソフトが増えるほうが便利だし、たとえばどこの会社でもMSのデータベースソフト、「アクセス」を使うようになれば、データのやりとりが現在よりも簡単に行えるようになる。このため、米西海岸では、MS製品のシェアがすでに100%を上回った州がいくつかある。
このままでは、今後数年のうちにあらゆるソフトの市場がMSに呑み込まれてしまう。ロータス、ネットスケープ、アドビなどでは、反マイクロソフト陣営の形成に向けて交渉を続けている。問題は、十分なソフト開発資金を確保できるかどうかだが、『ベーシックのビル』を名乗る正体不明の資産家が、投資銀行を通じて資金面からの支援を持ちかけているらしい。MSのソフト市場完全制覇は、そう簡単には実現しそうにない。
1997/10/25
総会屋グループへの不正な利益供与の疑いが注目を集めている三菱電機で、ここ数年の間に株主総会の時間が急速に短くなっていたことがわかった。経営陣に不利な質問が出るのを防ぐのが目的だったとみられている。
1990年代前半、2時間以上がかかっていた同社の株主総会は、95年に1時間2分、96年には3分21秒に短縮され、今年はわずか80ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)。人類が参加する会議の極限と言われた100ナノ秒の壁を、初めて破った。
ブレークスルーを可能にしたのは、三菱電機半導体事業部が社長の特命を受け開発した超高密度座席実装技術。日本の上場企業では70センチが平均的な水準とされていた一般株主席の間隔を、0.35ミクロンまで短縮した。1センチ四方の会場でも8億人が入場でき、業績や経営方針の説明を、従来よりも短時間のうちに株主に伝えられるようになった。
今年5月に開催された株主総会では、「与党総会屋」と敵対関係にあった小柄な総会屋が「三菱電機が、不当に高い利用料を海の家に払っているとの噂があるがどうか。我々には事実を知る権利がある」と経営陣に早口で質問したが、120ナノ秒がかかったため、議事は滞りなく進行した。
総会担当の重役は事情聴取に対し、「そんな総会があったような、なかったような……」といったあいまいな供述を繰り返している。サブリミナル効果を通じた事実関係の解明が、今後の捜査の焦点になりそうだ。
1997/10/25
「2000年問題」という言葉が、最近、テレビや雑誌、新聞などによく登場する。2000年問題とは、1999年までに作成されたコンピュータのソフトウェアが、2000年以降、正しく作動しなくなる可能性のことである。
今は何年かと問われて、1997年と答える人もいれば、97年と略して答える人もいる。コンピュータの内部で、もし、同じように年の1000の位と100の位を省略して表記すれば、2001年は「01年」になる。もし、このコンピュータが「01年」を「1901年」と認識すれば、銀行からお金を借りた人は、銀行に利子を払わなくてもよいばかりか、銀行からお金を受け取ることができる。空港の搭乗券発行用のソフトウェアは、ライト兄弟が初飛行に成功する1903年まで、動かなくなってしまう。1901年といえば日清戦争と日露戦争の間だから、防衛庁が戦闘のシミュレーションに使っているソフトウェアは、仮想敵国を清国からロシアに変更してしまい、外務省と一部の新聞を喜ばせることになる。
実際に、1997年を97年と認識しているソフトウェアは存在する。それが、いったいどれだけの数に達するのかは、現在使われているソフトウェアを、一つ一つ検査しなければわからない。そのために、膨大な手間がかかる。プログラマーが年を4ケタできちんと記録し、計算することを心がけておけば、こんな問題は起こらなかったはずだ。しかし、ほんの数年前まで「ノストラダムスの大予言」の訳本やら解説本がよく売れていたことを考えれば、プログラマーだけを責めるわけにはいかない。
私個人は、それほど悲観的ではない。東京スポーツはがっかりするだろうが、2000年問題は、人類の将来はもちろん、エリザベス・テーラーやマイケル・ジャクソンの私生活にもそれほど大きな影響を与えないのではないか。人類は、2000年問題よりもはるかに深刻な問題を、約2000年前に克服している。
紀元前1ケタ時代、ローマ帝国は世紀末思想に支配されていた。それはそうだろう。年の数がゼロへと次第に近づいていくのである。どう考えても吉祥ではない。現代人だって、5、4、3、2、1と数字が減っていけば、爆弾の炸裂か、ロケットの打ち上げ失敗か、終戦直後の食料事情を伝えるニュース映画を思い浮かべる。ローマ人も、同じような不安を抱いた。
常識的に考えれば、紀元前元年のあとは、紀元前マイナス元年、紀元前マイナス2年、紀元前マイナス3年ということになるが、このような年代法には欠点がある。ある年からある年までの期間を計算するのに、マイナスの引き算を実行しなければならないのだ。当時のローマ帝国では、
CDLIII−CCLXXXV=CLXVIII
といった複雑な表記が使われており、ローマ人はただでさえ計算が不得意だった。マイナスの引き算は、できることなら避けたかった。
イエス・キリストの誕生という、西暦紀元の開始点になりうる重大な事件を知ったとき、ローマ人はどんなに安心しただろうか。これで、マイナスの引き算で苦労する必要がなくなった。オクタウィアヌスが、「マリアが処女懐妊しなければ、もっと早く喜ぶことができたのに」と悔やんだとの言い伝えも残っている。
何はともあれ、新しい年の刻みかたが決まった。カレンダーは貼り付け式から切り取り式に、砂時計は上昇式から落下式に、戦車競走の進行方向は旧逆時計回りから新逆時計回りに変更された。この難事業を、ローマ人たちはなんとかやり遂げた。であれば、人類の科学技術が高度に進歩した今日、2ケタを4ケタに変えることなど簡単なのではないか、と考えるのが自然である。
残念ながら、安心ばかりはしていられない。キリストは十字架にかけられて3日後、いったん復活している。このときは、年代法が再び混乱することを恐れたローマの官憲が、速やかにキリストを昇天させた。しかし、神の国が近い将来、地上に実現すれば、キリストは今度こそ本格的に復活するだろう。そうなれば、バース党と公明党がどんなに抵抗しても、アメリカ企業が開発するソフトウェアには新しい年代法が採用され、人類はローマ人と同じ苦労を味合わなければならない。
案外、年を2ケタで認識するソフトウェアと一連のノストラダムス本は、我々の常識よりもはるかに正確なのかもしれない。
1997/11/3
神奈川県立藤沢南工業高校、3年B組。5時間目の開始を告げるベルが鳴ったというのに、生徒たちはたばこをふかしつづけている。
地学担当の相田教諭が入ってきたが、生徒たちは知らん顔。足を机の上でくんだまま、天井に向けて勢い良く煙を吐きだしている。
相田教諭は、煙にも匂いにも気がつかないふりをして、まだ真面目な生徒が多かった頃と同じように、静かに授業を始めた。
「今日は54ページ、モホロビチッチの不連続面からだったね」
舞台裏で、演劇部長の安川典子教諭が解説してくれた。
「本当は気にしている。何か言いたいが、注意をしようものなら生徒たちにボコボコになぐられてしまう。しかし、教育者として、このまま生徒たちの喫煙を見過ごすわけにはいかない。その微妙な心の迷いが、まるで地表を伝わるP波とS波のように、相田先生の心を揺さぶります。実際に体験した恐怖に基づき、これほどリアルな演技ができるのは、県内の高校では相田先生一人になってしまいました」
これは、授業の風景ではない。藤沢南工業高校の3年生有志と相田教諭が廃れ行く喫煙習慣を下級生に伝えるために演じている、再現劇なのである。しかし、3年生有志たちも1年生のころ、先輩が体育館の更衣室で喫煙しているのを目撃したことが何度かあるだけで、実際にたばこを吸ったことはない。
* * *
いま、喫煙率が急速に低下している。たばこを吸う大人が減ったために、たばこを吸うことは大人の証明ではなくなった。不純異性交遊、いじめ、ドラッグ、授業開始直前に教室のドアの上にしかけられた黒板消しといった問題は相変わらず深刻だが、生徒の喫煙だけはこの10年間で劇的に減少した。
先日、日本たばこ産業(JT)が発表したデータによれば、日本国民の喫煙率は33%。10年前よりも20%も低下した。しかもこの33%のうち、ほとんどは吐いてから吸う第2種喫煙家だ。吸ってから吐く本格派の第1種喫煙家は4%しかいない。
喫煙率の低下はたばこ産業、たばこ農家はもちろんのこと、周辺産業にも深刻な影響を及ぼしている。西武百貨店池袋店では先月から、売れ行きの不振を理由に灰皿の品数を大幅に減らした。大型のガラス製灰皿については今後も販売を継続するが、これは喫煙家ではなく、「鈍器のようなもの」を買い求める客のためだという。
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JTの研究所でいま、あるプロジェクトが着々と進んでいる。
オリの中に監禁されているのは、いまや日本に4人しかいなくなった1日200本以上を吸うヘビースモーカーたちだ。JTは、たばこの品種改良で学んだ遺伝子操作の技術を活かして、喫煙家を培養しようとしているのである。
隣の部屋にはアメリカの荒野から連れてこられたカウボーイが3人入っている。本来なら日本人喫煙家の純粋培養が理想だが、絶滅の可能性もあるため、米の大手たばこメーカーから特定銘柄のたばこだけを栄養源に生きているカウボーイ3人を借りた。来年夏ごろには日米混血のベビースモーカーが、銀の煙管をくわえて誕生すると期待されている。
JTでは文化庁や環境庁の協力を得て、10年後をメドにヘビースモーカーの量産を開始したいとしている。早ければ2020年ごろには、全国の学校で、煙につつまれた教室や便所が復活するはずだ。
1997/11/11
そのワトソンという名の青年が、私の研究室に初めて足を踏み入れた瞬間に、私は「美しい」という言葉の意味を知りました。透き通るような肌、女性のような細い指、青く輝く瞳、そして金色の長い髪。その美しさを目にした途端、私は、いままで自分さえも気が付かなかった同性愛者としての一面に、初めて光を当てられたのです。
それからの数年間は、幸せでありながら、苦しい日々が続きました。私はそれ以前から、一度に複数の信号を送受信できる電信装置の開発に取り組んでいましたが、ワトソンが来てからというもの、実験室でワトソンと時間を共有することが私の目的になりました。
しかし、クリスチャンの厳しい教えに沿って育てられた私には、愛を告白することができません。果実が実らぬ愛なら、せめて一分でも長く、この神々しいまでに美しい青年のそばにいたい。私はそう願って、毎日二十時間近くも研究に没頭しました。ワトソンも懸命に努力してくれました。材料や工具を手渡すときなどに、ワトソンの指と私の指がかすかに触れるたびに、私は全身が熱くなるのを感じました。
ところが、ある日のこと、私は信じられない光景を目にしました。私の研究所のそばで、ワトソンが馬車から下りて、その馬車の持ち主らしき男と、別れ際に熱いくちづけを交わしたのです。
呆然とその場に立ちつくしていた私と、ワトソンの目があいました。ワトソンは困惑したようすですぐ視線をそらし、すぐこう言ったのです。「あなたには、理解できないよ。ボクが愛を感じられる相手は、男だけなんだ」。私もすぐに、ワトソンに愛を感じていることをうち明けようとしました。しかし、その勇気が出てきません。黙ったままの私にむかって、ワトソンはこう続けました。「あの人、いろいろなものを発明して、いまに発明王になるんだって、はりきってるの。夢のある男の人って、素敵。すごく素敵……」
私が愛を告白しなければ、ワトソンがもうすぐあの男にすべてを許してしまうのは明らかでした。しかし、ワトソンのあまりにも美しく青い瞳を見つめた瞬間に、私の口は動かなくなってしまいます。
そのころには、私もようやく気がついていました。私がおびえているのは、神の教えに背くことではない。ワトソンに愛を拒絶される可能性なのだと。私の心をすべてさらけ出したとしても、ワトソンはエジソンという名の発明屋を選んでしまうかもしれないのです。
私は悩んだ挙げ句、一つの答えにたどりつきました。直接うち明けられないのなら、手紙に思いを託せばいいのです。目の前にいる相手に言えないことも、文字にすればなんとか伝えられます。私は一晩かかってようやく手紙をしたためました。
しかし、その手紙をワトソンに渡すことはできませんでした。翌日、手紙をこっそりとワトソンのかばんの中に入れるつもりだったのですが、その前にワトソンがうっとりしながら、こう言ったのです。「あの人、いま、『蓄音機』っていうものを作ろうとしているの。なぜだかわかる? ボクに繰り返し繰り返し愛の言葉をささやくために、あの人が遠くにいる夜でも、ボクが寂しくないように、ただそのために『蓄音機』を発明しようとしているの。ああ、幸せすぎて怖い……」
私の書いた手紙が、「蓄音機」なるものから発せられる、豊かな感情のこもった声に勝てないのは明らかです。このままではワトソンの足の指やふくらはぎ、太もも、そしてくるぶしまでもエジソンに奪われてしまうと思った私は、すぐに「蓄音機」を超える発明に着手しました。それは、蓄音機などよりもはるかに素早く、簡単に、私の言葉を遠くにいる人に伝えることができる機械でした。相手の顔が見えないため、ワトソンの美しい瞳に見つめられた瞬間、のどが凍り付いてしまうこともありません。
忘れもしない1876年3月10日、その機械が完成しました。ワトソンに機械の受信側に行くように命じ、私は送信側に立ち、はやる気持ちを抑えながら、長年隠していた熱い思いを初めて明かしたのです。
"Mr. Watson, come here - I want you"
アレクサンダー グラハム ベル著 『わが一生』から
(NIFTY-SERVE FCOMEDYS 第5回嘘競演参加 お題:『電話』)
1997/11/16
誰でも一生には何度か、「オレはアホか」と自分に問いかけたくなる瞬間がある。いまがちょうど、そんな瞬間なんだろうなと、オレは思った。
「もしもし、キンノエモンさん?」
「はいはい、鶴倉屋錦之衛門です」
「こんにちは。わたし、阿部マリアです」
「あー、阿部さんね。どうも、しばらく」
オレは、阿部マリアなんて女は知らん。それにしても、なんて無礼な女だ。このオレを慣れ慣れしく「キンノエモンさん」などと呼ぶとは。ここがテレビ局でなく、映画の撮影所なら、オレの一言で永久追放してやるのに。
「ちょっと待ってください。いま、ヤモリさんに代わります」
「はいはい」
用件がないのなら、最初からヤモリに出させろ。
「どうも、フショウテレビ『笑うほどのもんかよ』のヤモリです」
「あぁ、どうも。ヤモリさんですか。どうもどうも」
オレは銀幕のトップスターだ。トップスターが、たとえ電話口とはいえ、なんでテレビ芸人を相手に、愛想笑いをしなければならんのだ。
「なんか、音がすごく近いですねぇ」
当たり前だ。電話の相手は、オレのすぐ前に座っている。ヤモリではなく、アシスタント・ディレクターとかいう貧相な男だ。しかも電話ではなく、丸めた台本を手にしている。リハーサルなら、ヤモリ本人が来ればいいではないか。映画の新作の宣伝に必要だからと、映画会社の重役が土下座してオレに出演を頼まなければ、とっくに机という机をひっくりかえして、帰っているところだ。
「そうですねえ。いま、ハワイなんですけど、音が近いですねえ」
そばに座っていたオレのマネージャーが、すぐに耳打ちした。
「先生、リオデジャネイロです」
オレも言い直した。
「そうですねえ。いま、リオジャナイデロなんですけど、音が近いですねえ」
「ワハハハハ」
貧相な男が、黄色い歯を見せて笑いやがった。
理由はわからなかったが、オレも腹の底から笑ってやった。
「ワッハッハッハッハ」
高笑いなら日本一と言われたこの鶴倉屋の前で不用意に笑うとは、不届き至極なヤツだ。大部屋俳優ならすかさずボコボコにしてやるのに。
「で、鶴倉屋さん、いま、ロケの最中ですか」
「ええ。実は『平成任侠伝 イパネマブルース』の撮影中なんです」
映画のタイトルだけ、オレはゆっくりと、強調して言った。正月映画の宣伝だけが目的なのだ。
「そういえば、波の音が聞こえますね」
そばに控えていた効果音係が、テープを回すと、「ザーッ、ザーッ」という波の音が聞こえてきた。
「そうなんです。いま、南半球は夏ですよ。ヤモリさんも遊びにきませんか」
宮本武蔵を演じきった男が、なぜテレビ芸人を南半球くんだりまで誘わなければらなんのだ。
「うわぁ、行きたいなぁ。でも、明日も生放送だから、ちょっと無理ですね」
爬虫類のまねなんぞを芸と称しているこのつまらん芸人が、なぜ、園遊会にも呼ばれた映画界の宝の誘いをこうも軽々しく断る?
「で、鶴倉屋さん。ものは相談なんですが、明日の昼、新宿のアレタまで来ていただけませんか……」
「えーと、明日は朝から撮影が入っているんだけど、こっちの空港を10時に出発すれば、昼までには間に合うかな……」
といいながら、オレはちょっと考えた。オレは、絶世の美男子だから評論家どもには正当に評価されていないが、演技派でもある。演技派として、これまで観客を騙しつづけてきた。あるときは南町奉行、あるときは謎の退屈男、あるときは水戸の御隠居、そしてまたあるときは多羅尾判内。銀幕のなかのオレを見て、観客はオレが鶴倉屋錦之衛門であることを忘れる。観客が抱えている悩みや心配も、すこしの間、どこかへ消える。
テレビに出てくる映画評論家どもは、よく、オレの映画にはリアリズムのかけらもないと言う。冗談じゃない。映画館のなかの物差しで計れば、オレの派手な殺陣も、ライオン柄の着物も、時代考証を無視し、オレを輝かせるためだけに書かれる脚本も、みんな「リアル」なんだ。テレビのちっちゃいブラウン管の物差しで計ってもらっちゃ困る。
それに、オレは観客に嘘はついていない。オレのようなスターが、前日に電話を一本入れるだけで、すぐつかまると言ったら、それは演技じゃない。嘘だ。地球の裏側から2時間で新宿に帰れるってのも、たぶん嘘だろう。テレビ局の奴らは、そんなこと、間抜けな視聴者にはわからないって言うが、オレの哲学には合わなかった。
「それでは、明日、来てくれるかな?」
「いいとも!」
オレは、元気に答えた。実際にワクワクしていたから、演技をする必要なんてなかった。明日の本番では、「断る。銀幕のトップスターがテレビになんて出れるか、バカヤロウ。顔洗って出直してこい」と言ってやろう。
(NIFTY-SERVE FCOMEDYS 第5回嘘競演参加 お題:『電話』)
1997/11/23